「永遠に変わらないことを望んでも、私たちは前に進まなければいけない」
耳元で漏れ出ていく、先輩の気持ち。
「足りない足りないと駄々をこねても、環境を変えていかなくちゃいけない。それは、私もわかってる」
俺の背中に縋ってくる先輩の一挙一動から、貧しい気持ちが伝わってくる。
「でもね。……でも、まだ私は、きみと一緒に学校に通いたかった。こんなもんじゃまだまだ足りない。足らなくて貧しくて、際限なく貪欲になってしまう」
俺は、言葉を返さない。返してはいけなかった。
「楽しいことはいくらでもしたい。好きな人となら、より一層こう思ってしまう。子どもっぽいと自覚していても、この悪癖はなかなか直せそうにない」
先輩の表情は見えない。俺の表情は見られない。彼女が心を落ち着けるまで、こうしていたほうがいい。
「もう二度と、私たちの高校生活は訪れやしない。それに、きみが上京するまでの間の一年、私はきみと触れ合えない」
その声色はとても弱々しくて、普段の自信に満ちた先輩とは思えない。たぶんこれは、俺にしか吐き出せないもの。
「……辛いよ。すごく辛い。これで終わりなんて。私の気持ちは満足とは程遠いところにあるのに、もう突き離されるなんて残酷すぎる」
ぎゅう、と先輩が俺のブレザーの裾を握った。
「ずっと傍にいてほしい、ずっと下らない話をしながら高校を過ごしていたい。……私の理性が、もっと先のことを見据えて動こうとしてるのにな」
欲望と理性の板挟みになって苦しんでる先輩に、俺が何を出来るっていうんだ。彼女は自分でも割り切ることはできる。俺がでしゃばっていいところじゃない。
「きみはいつでも、きみと私の未来を考えて自分を律していた。魔物娘と人間の違いはここだ。魔物娘は刹那的に生きる。人間には未来がある」
魔物娘は本能が強い。人間は理性が強い。巷で取り沙汰される魔物娘と人間のどっちがいいかという話で、だいたいこれが前提に入る。
「私もそうならなくちゃいけない。今だけ良ければいいってわけじゃない、ずっと良く過ごすためには多少は涙だって飲まなくちゃいけないんだ」
ここ最近の先輩は、直接的なアプローチが減っていた。下ネタは話すものの、夏の時みたいな大胆さはなくなっていた。それが前に進むということか。
「今週にでも実家に帰って、すぐに花嫁修業を始める。君に寄り添うためには、何も準備出来ていない私を変えなくちゃいけない」
その言葉は、決意の表明。享楽的に生きるサテュロスという種族は、普通はそんなことしない。彼女は違う。
「ワインはボトリングされた時点で完成する。飲める酒になっているんだ。でも、ワインは寝かせれば寝かせるだけ、味わいが変わっていく。熟成は深みを与える」
きっと今、彼女は微笑んでる。心の中を隠して超然とする、それが先輩のあり方。
「一年後に会う時には、口当たりの良い女になってるさ。この二年間は楽しかった。今度はこれよりもっと充実した二人の生活を過ごしてやろうじゃないか」
ああ、くそ。こんな良い人に好かれておいて、俺はなにをしてるんだ。なにもしてあげられていない。だけど、俺があげられるものはせいぜい、
「私がこうしてきみに甘えるのもこれっきりだ。だから、」
「先輩」
「え」
彼女の言葉を遮り、待ったをかける。腹を括ろう。
「この二年間ずっと、俺は先輩に振り回されて遊んでました。俺も楽しかった。でも俺は、先輩の気持ちに答えられてないじゃないですか」
「そんなことないだろう。きみの気持ちはわかってる。伝わってるよ」
「そうじゃないんです」
後ろからこちらを抱きしめる先輩の手を取り、包むように手を握る。
「俺も先輩も、たぶんまだ一回も言ってないし、答えてもいません。ずっと一緒に過ごしてきたのに」
「……遠回りは慣れたよ。直線を進むよりも、いろんなものを見れた遠回りだった」
「先輩は、卒業するだけがゴール地点でいいんですか」
言葉に詰まり、黙りこむ先輩。
「俺は別に、先輩の第二ボタンは欲しくありません。でも、聞き届けてもらえるなら、第二ボタンの代わりに……俺の次の言葉に、うんと答えてください」
「……そ、れは。……いや、わかった。な、なんでも言うといい」
彼女が了承したのを聞き、一度席を立って先輩に振り向く。顔面を真っ赤に紅潮させて固まった、泣き腫らした顔の先輩。
椅子に座り直し、正面から彼女と相対する。こういう時のためにいろいろと頭のなかで言葉を考えてきたんだけど、全部ボツだ。俺の言葉じゃないものを、彼女に言うつもりはない。
俺の視界には、見慣れた調理室の風景と、そこに収まる先輩。いつもの光景、明日からは消える光景。手放したくないものは思い出になる。その思い出の最後こそ
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