先輩と体温

 とす、と背中に重みのあるものが押し付けられる。それの上の方に筋張った硬いものの感触。なんだろ、角かな。彼女の頭にあるものと言ったら、角しか思い浮かばない。
 それと同時に、背後から腹に腕を回される。

「先輩?」
「これは受け売りなんだが」
「はい」

 また唐突だな、と思いながら弁当を洗いつつ、少し眠そうな口調の先輩に相槌を打つ。

「人肌という温度は素晴らしい。自分の熱ではなんとも思わないが、他人の熱では安心を覚えるものなんだ。信頼した相手では特に」
「はぁ……そうですかね」
「幼児だってそうだろう。信頼できる相手に身を任せて、その相手の温もりで安らぐんだ」
「ああ、確かに。抱っこされてる赤ちゃんとか、幸せそうですよね」
「後輩は暖かいな。ずっと傍にいたい温度だ」

 ぎゅっと腕に力が込められて、先輩に抱き竦められる。先輩の声が聞こえる重みから下のあたりで、ぐにぐにした柔らかいものが背中に当たっているのを感じる。
 うわ、なんだこの弾力感――、じゃなくて。

「あの、先輩。弁当洗い終わったんで、そろそろ離してください」
「ずっと傍にいたい。離れたくない」
「眠たいだけじゃないですか……転ばないでくださいよ」
「んー」

 仕方ないので、ずるずる先輩を引きずりながら弁当を干す。
 今日は甘えたい気分、ってやつかな。たまにそういう日がある。

「後輩は上と下のどっちが好きなんだ?」
「……ヒントください。抽象的すぎてわかんないです」
「んー……私は後輩に身を任せたい」
「それ、……は、おんぶに抱っこ的な意味ですか」

 先輩は無言だった。本当にずるい。





「今日はワインは飲まないんですか?」
「……きみは私をなんだと思ってるんだ」
「呑兵衛ですね」

 別に飲まない日があったっていいじゃないか、と拗ねてぼやく先輩を見下ろす。
 先輩は俺の膝の上に頭を乗せて椅子の上に横たわってる。これくらいなら、もう慣れたものだった。

「つまらないな。膝枕するだけで恥ずかしがっていた後輩はどこにいった」
「先輩がどっかに追い出したんじゃないですかね」
「私は後輩が恥ずかしがるのを見たいんだ。女慣れした童貞って矛盾していないか」
「男慣れしすぎてる処女に言われても……」

 実際、恥ずかしいか恥ずかしくないかで言えば恥ずかしい方だけど、気にしないようにすればなんでもないことでもある。頭が乗っかってるだけだ。
 本でも読んでいれば、なんか足が重いな程度で済む。

「目上の者を放置して読書とはいい御身分じゃないか。きみがそういうつもりなら、私だって最大限くつろいでやるからな」

 そう言って先輩は唐突にブレザーを脱ぎ始めた。

「ちょ、人の膝の上でストリップを始めないでください」
「私がこうやって身体を張らないと、きみはこっちを意識してくれないだろう。本と私のどっちが大事なんだ」
「めんどくさい嫁みたいなこと言い出した……」
「先輩というのはめんどくさいものなんだよ」
「かまってほしいって素直に言えばいいじゃないですか」
「そんなの、先輩らしくないだろう」
「すでに先輩らしい威厳が見えないんですけど」
「私はめんどくさかわいい先輩を目指してるからな」

 腿の上で腕を丸めて枕にしながら、心底楽しそうに笑う先輩。
 ブレザーは脱ぎかけのまま。ワイシャツの下から強く自己主張してる先輩の胸が片方の腿に乗って、柔らかくぐにゃりと変形してのしかかってくる。ノーブラだこれ。

「後輩は本当におっぱいが好きだな」
「ぅえ、いや、……見てたわけじゃないですよ」
「いつまで経っても嘘をつくのが下手なの、どうにかしたほうがいいんじゃないか。女っていうのは嘘を見つけるのが得意なんだぞ」
「……これは嘘じゃなくて、見栄です」
「ああ、なるほど。じゃあそういうことにしておこう」

 優しく微笑まれる。ポーカーフェイスのコツを誰か教えてほしい。





「今週の土日は暇だったよな」
「そうですね。特にこれといった用事はなかったと思います」
「ふむ」

 マカロンがオーブンで焼かれていく様子から目を離し、隣で体育座りをしている先輩を見る。
 なにかを迷っている表情だった。

「どこか行きます?」
「それなんだがな。どこに行くものかな、と悩んでいるんだ」
「部員に相談すればいいじゃないですか」
「あいつらに聞くわけないだろう」
「ですよね」

 一つ遠くの調理台できゃいきゃいしてる部員たちを遠巻きに見て、先輩といっしょに深くため息を吐いた。
 曲者揃いの魔物たちが集まる高校の、これまた曲者しかいない部活でデート先の相談なんてしようものなら、御輿を担ぐ大騒ぎになるのがはっきりわかってる。なにしろ思春期の魔物娘は獰猛なくらいに恋バナが好きで、その上ひどくお節介焼きだ。
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