先輩と一日

「私は処女だ」
「ぶほっ」

 慌てて口元を手で抑えながら、机の対面に座る先輩から目を逸らす。
 こういうときの先輩の表情はよーく知ってる。羊角の下にニヤニヤと意地の悪い表情を浮かべて、じっとこっちを見つめてくるのがいつもの先輩だ。

「親しい女性が誰かのお手つきではないというだけで、君としても嬉しいことだろう?」
「……知りませんよ」

 烏龍茶の入ったペットボトルの蓋を閉め、まだ気管支に残っているものを追いだそうと咳をする。
 部室内の時計に目をやり、昼休みが終わるには遠いことを確認。弁当の中身も空っぽとは言えない。
 今日はどれくらい先輩にセクハラされるんだろうか。食事している最中くらいは待っててほしいけど、言っても先輩は聞いてくれなかった。

「私は快楽主義に生きていたい。でもね、男女仲に関しては清廉な女性でありたいとも思うんだ。初めては全部、一生を共にする人に捧げたいとね」
「そんなもんじゃないですか、女子って」
「そうだね。男性も同じだろう。ところで君は童貞だな」
「ぐほっ」
「わかりやすいんだよ君は」

 恥じることではないのに、と苦笑気味の先輩を睨みつつ、変なことを言われる前に急いで飯をかきこむ。
 先輩は懐からワインの瓶を取り出して、どかりと机の上に置いた。ラベルは貼られていない。それから席を立ち、先輩が部室の棚の中に隠してあるグラスを取り出そうとして、こちらに振り向く。

「君も飲むか?」
「酒は弱いので」
「残念だな。その断り文句も聞き飽きた。いつになったら強くなってくれるかな」
「学校の外なら強くなるかもしれませんね」
「覚えておこう。補導されない程度に」

 微笑みながら机に戻り、卓上にワイングラスを一つだけ置く先輩。それから手慣れた仕草でコルクを抜き、音を立てて注いでいく。部室内にワインのいい匂いが広がっていくのは、正直に言って好きだ。
 赤いワインを一口飲んで、先輩は満足に息を吐いた。

「今日もいい天気だな。快晴の日に友達と外で遊んだりはしないのか、後輩」
「先輩が昼休み終わるまでに逃がしてくれるなら」
「はは、それはダメだな。酒のつまみに逃げられたらワインも美味しくなくなるよ」
「でしょうね」

 それに、逃げたとしてもサテュロス特有の俊足で即座に捕まえられるだけ。逆関節の有蹄足でどうしてあんなに足が速いのか、本当に不思議だ。

「さて……童貞の男性と処女の女性が密室でふたりきり、そして女性は飲酒して酔っている……となれば、もうやることは一つしかないな」
「会話ですね」
「もしかしてインポテンツなのか?私が病院に付き添ってやれば勃起治療を格安でしてもらえるそうだが」
「……先輩は至ってシラフなので、この部屋に酔ってる女性なんていません」
「おっと、失敬。ワインだけで酔うには瓶一本じゃ足りなくなるからね、それは確かだ。もっとも、君に酔ってるからアルコールはいらないんだが」

 そう言ってもう一口、グラスを傾ける先輩。美味しそうに酒を飲む姿にかけては、恐らく先輩に勝る女性はいないと思う。普段の出で立ちからしても気品に溢れていて、昼の光を浴びる先輩の栗色の髪は綺麗なんて言葉を百回重ねてなお足りない。
 ヘビードランカーでセクハラ大好き、なんておっさんみたいな性格じゃなければ、もっと人望厚かったかもしれない。

「酔うといえば、以前近くの居酒屋で独りで晩酌していた時にナンパされたよ。中々の美丈夫で人の良さが窺えたし、今までナンパされた男の中ではそれなりに上位のいい男だったな」
「はあ。応じてあげればよかったじゃないですか」
「私にも好き嫌いはあるし、その場の気分というものだってあるさ。てきとーに二言三言話して追い払った。独り晩酌は気安い女に見えるらしい」

 グラスの中身を飲み干して、手を休めずにワインを注ぐ先輩。なみなみとワインで満たされたグラスをこちらに掲げ、それに、と言葉を続ける。

「それに、毎日毎日と目の前にいい男が居てくれるからね。その辺の男じゃ満足できないさ」
「……そりゃ、よかったですね」

 してやったり顔で優雅にワインを飲む先輩を直視することはできなかった。といっても、片手で顔を覆っただけだけど。照れてる表情を見たら先輩はますます調子に乗るもんな。


――


 弁当を片付け、流し台で洗う。調理準備室の水道は校内の他の水道と比べて非常に綺麗だ。掃除を念入りに行う人間がいるおかげで。

「家政夫になりたいなら、私は君を養えるよう良い会社に務めなくてはならなくなるがな」
「調理士志望ですって……」
「そんなもんか。私は好きな人に自分の料理を振る舞いたいから料理部に入ったんだが、後輩は意識が高いな」

 現在の部員数は十名ほどで、ほとんどが女性。その誰もが恋人持ちだ。だからか、昼休みに
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