老齢魔術師とその弟子の話

 この時代において大陸全土で上の中といったところである魔術師のジーニャ・クロレスツカヤは、魔術の深奥を極めるにおいて自らに重い足枷があることに頭を悩ませていた。
 加齢による知慧の退化。魔術の研究は時間がかかり、ジーニャも数多の歳月を経ている。協力を仰いだ際に受け入れてくれた治癒術師たちが三日置きにジーニャへ細胞活性の魔術を付与してくれるおかげで、齢六十とはいえども外見自体は二十三の頃から何ら変わっていないのだが、しかし限界はかならずやってくる。彼女の師だって、同じように細胞活性によるアンチエイジングを行っていたのにもかかわらず、八十を数えて三ヶ月ほどで急逝した。死因は特定できないとのことだが、身体に負担がかかっていることは明白。明日は我が身、という自身の肉体からの圧力が彼女の精神をすり減らす。
 打つ手は、ある。
「自然の摂理への反逆は、どこの国家であっても罪悪です。魔術師が国や地域からの支援を受け取れなくなったら、みじめで辺鄙な場所でしみったれた研究しかできなくなりますよ」
「知ったような口を聞くな、ケイ」
「知ってますからね。情報通なので」
 魔術師は自分が死ぬまでに自分が研究した魔術を弟子へ伝えなければいけない。これは定められた義務というわけではなく、単に魔術の系譜を自らの代で失うわけにはいかないからだ。ジーニャの弟子の一人であるケイは彼女のお気に入りであり、彼が彼女の近くで学べているのは他の同年代の男子が武術や色恋にうつつを抜かしている間にも魔術の勉学に励む様がなんともいじましく思えるからだ。
「しかし悪いな、ケイ」
 ケイは小首を傾げる仕草でジーニャへ問いを返した。ジーニャは少しバツが悪そうに自身の赤い髪を弄びながら、
「理論も何も、完成しているんだ。やろうと思えば今すぐにでも不死になれるんだが」
「……それはまた、熱心なことで」
 なんと言えば良いのか、彼女は何を言っているのか、としばらく頭を悩ませた後、ようやくケイがひねり出した言葉がこれだった。
 沈黙がジーニャの研究室を支配する。デスクや黒板、羊皮紙やペンさえも彼女のものだ。彼女がやろうとおもえば、この研究室どころか住居付き工房ごとをポケットサイズに格納して持ち運ぶことだってできるのだが、ケイに関してはそうはいかない。魔術のためであれば命をつぎ込み魔術のためであれば自然へ反逆するジーニャでも、他人の意思は尊重する。
「あの、師匠」
「なんだ」
「止めても止まりませんよね」
「よくわかってるじゃないか。いつやるかはお前次第だが」
「……自分、師匠のもとで学び始めてまだ5年ほどなんですが」
「十分な時間を経たとは思わないか。一人の師のもとで学び続けた時間としては確かに短いが、かといってその知識が他の師のもとで活かせないはずがない。お前のモチベーションと能力なら、私についていく意味合いは薄い」
「その薄い部分はなんです?」
「……」
 ジーニャはケイから目を逸らし、少し俯きがちになりながら黙りこくり、ケイが目を離した隙に小声でぼそりと答えた。
「私についてきてほしいっていうわがまま」
 ケイは顔を赤くしながら、再度なんと言えば良いのかを考え始めた。



 魔術師は他人と触れ合うことが少なく、もっぱら本とペンと羊皮紙に向き合う人種である。
 それ故に不躾な口調でしか人と触れ合えず、知識と理論で行動し、子どもじみた振る舞いをする。はっきり言って、魔術師は子どもと同じ扱いができる。
 食事は甘味ばかり取り、貴族の出でなければテーブルマナーも最悪。他人を顧みることはせず、自分本位の考え方が基本。
 しかし一度その指を動かせば、魔術師は他者からの支援を容易に受け取ることができる。魔術師は閉鎖的ながらも社会と関わらなければ生きられない矛盾を孕んでいる。
 都市から離れた場所にある中規模程度の町、ライゼンデイルでは今年に入って突然に若年の男性魔術師が住み始めた。彼は魔術師らしく他人と関わることは少ないが、魔術を町に少しずつ供給する代わりに生活できるよう対価を求めた。
 魔術師を蔑ろにしても良い方向に事が運んだ試しはない、という認識はどこを行っても同じだ。ライゼンデイルに住む男衆は彼のために、墓地に近い場所へ家を建てた。墓地に近い場所は喧騒から程遠く静謐であり、彼が屍術師でないこともわかったので、男衆は彼の要求に快諾した。
 曰く、壁は音が漏れないように堅牢に。曰く、地下階は自分で作るので階段部分の基盤だけを。魔術師の助けもあって、彼の家は一ヶ月も経たずに建てることができた。
 今この家には、一人のリッチとその夫が住んでいる。
「ほう、講座を開いてくれと……? ずいぶん頼られてるじゃないか」
「頼られても。自分は教えるのは不向きだし、すぐに断った」
「魔術で手助けしてやるより
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