ねぇ、笑って?

ねぇ、笑って?



街にサーカスがやって来る。

暗い世の中も冬の寒さも不幸な事も切り裂きジェーンも忘れましょう♪私共は愉快な一座♪♪きっと素敵な一夜の夢を♪あなたの為に至高の芸を♪そして皆んなに享楽を♪

愉快な音楽と共に街にやって来た一座は、そのような謳い文句と花とビラと笑顔と笑いをまき散らして、ほんの少しの恐怖とひとつまみの狂気を連れて街の中を練り歩く。

さあさあ踊り出したよ♪糸の切れた操り人形♪片足のブリキの兵隊さん♪音の歪んだクラリネット♪♪さあさあ皆んなで笑おうか♪今日はめでたい日♪誰も誕生日じゃない日♪♪

ある人は楽しそうに、ある人は怖いもの見たさに、ある人はまやかしの光に誘われて、そのパレードを賑やかに見ていた。

彼らが配るビラにはこう書いてある。


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不思議な不思議なサーカス

シルク・ド・エトワール

星と夢とひと握りの狂気をアナタに

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そんなお祭り騒ぎの中で1人だけ下を向いて歩いている男の子がいた。歳の頃は12か13だろう。ぶかぶかですすけたハンチング帽を目深く被るとサーカス達が練り歩く大通りから逃げる様にスモックの煙る裏路地へと去って行った。

ロンド市イーストエンドのバラック街に男の子の家がある。荒れた掘立て小屋みたいな我が家に入ると中は散らかっていて、嫌な煙りが立ち込めている。その奥で母親がベッドの上で飲んだくれていた。

『……帰ったかいウィル。今日は給料日だね?こっちへ来な。』

起き上がりてを招く痩せた母親は、光りの加減か髪の生えた骸骨のように見える。

ウィルは怯えながら恐る恐る母親に近く。

『さぁ、金を出すんだ。』

ウィルは黙って10シリンをポケットから出した。その瞬間、母親が裏手でウィルの頬を引っ叩いた。

『ぎゃっ!!』

『ふざけんじゃねぇ!クソガキ!……テメェが週15シリン貰ってんのは分かってんだ!!アタシを馬鹿にしやがって!!出すんだよ!!』

母親が倒れたウィルを更に殴って、上着の内ポケットから残りの5シリンを取り出した。母親はウィルを外に放り出すと、また酒を飲み始めた。

ウィルは立ち上がると歩き出した。その身体はあざと泥で薄汚れている。きっと今夜は母親が仕事に行くまで家には戻れない。今はまだ夕方で肌寒い程度だけど、夜になったらいっそう冷え込むだろう。しばらく嫌な匂いがする寒空のロンド市の下町をふらつく事になりそうだ。

『お金……どうしようか?』

歩きながらそんな事が自然と口に出た。

ウィルは娼婦の子供だ。顔も見たことの無い父親は帰って来たら結婚しようと母親と幸せの約束をして、結局はブリタニアから遠く離れた霧の国との戦争に行ったっきり帰って来なかったらしい。ウィルがいると母親は客を取れない。小さな頃は今よりもっと貧乏で寒くてひもじい生活だった。

だからウィルは5歳から工場で働か無ければならなかった。何を作っているのかウィル自身にもよく分からない。ただ金持ちの為に何かを作っていてその対価にお金を貰っている。彼にはそれで充分だった。

それで最初は週2シリンで雇われて、それが4シリンに増え、5シリンになり、7年近く働いてやっと週15シリン貰えるようになったが、給料が週10シリンを超えた辺りから母親がウィルに対して辛く当たり始めた。

『あの男に似て来たね……』

そう言って殴られるようになった。

母親は次第に飲んだくれるようになった。飲んだくれるようになってから暴力が酷くなった。

いや、それはまだマシだったとウィルは思う。最近になりアヘンを始めてしまい母親の無気力ぶりと暴力と浪費はますます酷くなったからだ。

ウィルは最初は泣いて叫いたが、泣いても叫いてもどうにもならない事を知ると、それをやめた。それでどうにかなっていればとっくに解決している。

最後にウィルが心から笑ったのはいつだろう?それはもうずっと前の事だ。夕闇の中寂しく歩く小さな男の子は笑顔をすっかり忘れて、ただ現実だけを見るようになった。

暮らして行くにはそれ相応の金が掛かる。

母子2人が1週間暮らして行くには切り詰めて15シリンがギリギリだ。食べ物に雑貨、水は水質が悪くて沸騰させなければ飲めないので、出来れば石炭か、石炭が買えなければ薪を買わなくてはならない。それがまた酒とアヘンに消えてしまう。母親も娼館で客を取れなくなって来ていて稼ぎも悪くなる一方だ。

成人に……17歳なれば親の許可無く1人で仕事を請け負う事が出来て給料も週25シリンになる。つまりは17歳になれば母親から解放されるのだが、後5年も絶えなければならないと思うとゾッとしない。


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