悦楽の園 前編

悦楽の園 前編




何かがおかしい。

何が?と聞かれたらどう答えていいかわからないが、根拠はいろいろ……一言で言えば雰囲気だ。

俺、オリバー・ハルミトンは原因不明の違和感に苛まれている。

そして、決定的なのは3日ほど前の夕方に礼拝堂に急ぐ麗しのフロイライン……3つ学年下のテオドール・ヴァン・シュタインを目撃してから朝までの記憶がすっぽりと抜け落ちていること。

ここ3日、決まって毎晩おかしな夢を見ること。

その夢は……いや、よそう。どうかしている。

この件……少なくとも俺の記憶のブランクに麗しのフロイラインが関わっている事は否定出来ない。でも、肝心のフロイラインは何時もと同じだ。

素直で、頭が良くて、ちょと臆病で、笑顔が素敵な可愛い後輩だ。眼鏡で、頭が良くて、いつも本を抱えて俺や学年1つ上のブルーノの後ろをちょこちょこ付いてくる。

そんなフロイラインは俺の疑惑を知ってか知らずか、現在『コーヒーの会』にて俺の目の前の席に座って眼鏡を曇らせながら砂糖とミルクを目一杯入れたブルーノ特製のスペシャルブレンドをすすっている。

『ー?オリバー?聞いてる?』

『?あぁ、ごめん。考え事してた。』

『も〜〜!』

そんなたわいも無い会話が飛び交う『コーヒーの会』だが、なんというか数日前から空気がねっとりとしているような。ピンク色のモヤがかかっているような……。ブルーノのスペシャルブラックコーヒーだけは何時もの味だ。




気のせいであってほしい。




そんな俺の願いを他所に、異変は徐々に増えていった。

寮制の男子高等中学校だ。女の子がいないと言う事も手伝ってか"そういうこと"は稀に見かけるし "そうそう関係" の生徒が一定数いるが、ここ数日で7件も目撃してしまった。けっこうな数だ。

まったくけしからん……ゲフンゲフン……

その中には先生と生徒もいた。……あー、シュピーゲル先生と教会保健室のシスター・マドレーヌは何時もの様子だった。あの2人の密会は一部で有名だ。まぁ若い男女だし……

それから、聖歌隊のパート編成だ。今まで各パートがバランスよく配置されていたが、ここ数日でパート変えの申請が急増している。普通、変声期前の中等科の子が歌うソプラノとアルトのパートを明らかに変声期を迎えた子が歌ってた。まぁ……カウンター・テナー(ソプラノ・アルトを歌う男性歌手)になった可能性もあるが……それにしてもおかしい。

『ハルミトン君、ちょっといいかい?』

『……エーリヒ。まさかとは思うが、お前もパート変えか?』

コイツは俺と同学年のエーリヒ・フォン・リリエンタール。すらっとした長身に黒髪灰目 がトレードマークの優男だ。美形で成績優秀で、聖歌隊ではテノールを担当している少々デリケートなやつだ。学内にファンクラブがあるらしい。

『あ、あぁ、そうなんだデア・ハルミトン。』

『バスかバリトンか?でもお前にテノール抜けられると困る。……オラトリオ(聖典のオペラ)とかどうするんだよ!?』

『デア・ハルミトン……。いや、その……私はアルトに。とりあえず、歌を聴いてから判断してくれないか?』

『……わかった。じゃ、アカペラ(伴奏なし歌のみ)でいいな?』

『うん。』

スーター バート マーテール ドーロローザ♪♪
悲しみの中の聖女よ

イークゥスタ クラーゥセム ラッチリィモーサ♪♪
十字架の傍に涙に暮れあなたは立つ

ドゥム ペンデバァット フィ〜リ〜ィゥス♪
主神の御子が架けられているその間

『……ふぅ。どうだった?』

ポカーン………

『ハルミトン君?』

ゴトン……

『あ、あぁ!い、いいんじゃないか?アルト!』

圧倒されてしまった。ペンを落とすまで間抜けな顔して聴いてたんだろう。完璧だった。物凄く綺麗な声だった!何がどうしてこうなった!?

『ありがとう!……今度、ハルミトン君と一緒にお茶でもしたいな。今週末はどう?』

あれ?なんだ?この感じ。エーリヒは優男だけど、こんな色気あったっけ?

あれ?ユリの香り?……頭が痺れて?

『今週末……?あぁ……』

『オリバーー!』

どーん!

『わっ!?フロイライン!?あぶねーだろっ!!』

後ろからテオが飛びついて来た。

『やっと捕まえた!明日までに課題やらないと留年しちゃうよ!?』
(ったく。油断も隙も無い……第三者の介入は契約外か……あの悪魔め。これは魔物娘の勢力を少しでも広げる為だろう。少しの間オリバーを独り占めにさせた後、どうせ"契約は守ってるわよ?ハーレムもいーじゃない♪"とか考えてるに違いない。)

あれ?テオがエーリヒを睨みつけてる?

『オリバー!課題!留年!!』

『へっ……?あっ!やべっ忘れてた!!よし、テオ手伝え!!ブルーノのとこ行くぞ!』
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