胎の牢
カンカン!!
『静粛に!』
法廷に裁判官が振るう木槌の甲高い音が響く。
『判決!被告人、ノーマン・ビショップを胎牢の刑に処す。』
被告人席には30代半ばであろうか、ノーマンと呼ばれた栗毛と緑目の主神教の聖職者はやつれた顔で力なくうな垂れていた。
しかしながら、彼を裁いているのは王でも、司教でも、貴族でも、ましてや人間の裁判官でもない。サキュバスであろうか?法衣を着る裁判官の女の頭には大きく捻れた角が。背中には蝙蝠のような羽があり、足元の尻尾が時折パタパタと床を叩いていた。
『被告人、ノーマン・ビショップ主神教司教はこの度の戦争に直接的な関わりはないものの、主神教会への信仰いう名の下、民に対する収奪と軍への資金援助に一部関与し、戦争で苦しんでいた民をさらに苦しめた罪は決して軽いとは言えない。よって、胎牢の刑に処すものである。罪を償い、文字通り生まれ変わりなさい。…これにて閉廷!』
カンカン!!
裁判が終わり、ノーマンは両脇を憲兵であろう魔物に固められ長い廊下を歩く。途中途中に魔物の舐め回すような視線を感じ、それを無視しながらただ漠然と歩きながら自分が人生の中でして来た事を思い出していた。
主神教司祭であるノーマン・ビショップは主神教国であるイスパール教国に生まれ、戦争孤児として主神教会の教会孤児院で育った。幼い頃は聖堂騎士になる事を夢見たが、身体を動かす事にからきし向かず、聖堂騎士どころか、軍隊に入るのも諦めた。
ノーマンは騎士には向かなかったが、頭が良く謙虚で聡明な性格が孤児院の院長神父の目に止まり、神父学校に入学した。ビショップという彼の苗字はその時に院長神父から名付けられたものである。学校では当初から優秀な成績で、ノーマンは学友と夢や理想を語り合い、議論をした。
18歳、西方主神教会聖ヨハネス神父学校を卒業した後は、主神教会の中枢である聖都クレドにある、都と同じ名前の教会に配属された。言うなれば皆が羨む聖職者のエリートコースであった。
しかし、主神への祈りと、信仰と、聖徒達との交流、人々の心を救う事に情熱と理想を持ち、自身の人生の意味を見出していたノーマンは教会に赴任して直ぐに現実に打ちひしがれる事になる。
貴族や商人からの賄賂
聖職者の姦淫
貴族や権利者らの立身出世に加担した不当な宗教裁判や罪の隠蔽
農村や民衆への収奪や異教徒や異端派への執拗な弾圧
資金集めを目的とした信徒への免罪符の交付…
など西方主神教の腐敗は挙げたらキリが無かった。
『天の御国は貧しき彼らの為にあるのではないのですか!?聖典に書かれている事とは、まるで正反対ではないか!』
と、最初は反発したノーマンだったが、策略により賄集の片棒を知らぬ間に担がされ、その事を脅迫され、やむなく協力せざるを得なくなった。
ノーマンは身勝手な事と知りながら
『主神よ、天の王よ。教会は腐敗しています。ですが私には力がありません。どのような事をしても私が権力を持ち、主神教と信徒を正しい道に導きます。ですから、私の罪をお許しください。』
と祈った。
しかし、結局はノーマンも腐敗に飲まれて行った。自分が理想とはかけ離れた存在になってゆく事に罪悪感と嫌悪感を感じるも、主神への信仰は欲に、救うべき信徒への心は利害に変わり、教理は自身を正当化する為の方便へと成り下がった。西方主神教会は主神教国の王侯貴族の特権政治に加担する形で、その正当性を認め、富を蓄えていった。ノーマンはその中で次第に頭角を現していった。
『神父様。いやはや、あなたは徴税人か商人になっても大成するでしょうな。』
そう言うふうにノーマンは役人に褒められた事を覚えている。
さて、ノーマンが司祭になった頃、当時の主神教会は西方主神教会内の腐敗と不正に反発する形でアルマティン神父という人物を中心として聖典に基づく信仰を教理とし、主神教会の改革を目的とした福音主義派が起こった。当然、これを善としない西方主神教会はアルマティン神父を破門とし、福音主義派の弾圧を行なった。福音主義派は貧しい民や搾取される農民や虚しい辺境の教会の指示を得て、彼等を引き入れながら拡大してゆき、各地で王侯貴族への反乱が起こっていた。特にクラーヴェ公国で起きた農民の反乱とその弾圧は苛烈を極めた。
『司祭様、また多くの血が流れてしまいます。僕は悲しいです。』
『主神様の為に流された尊い犠牲だ。悲しむことはない。』
新任の神父が祈っているのを見て、ノーマンはそう言った事を覚えている。
ノーマンはイスパール諸侯による福音主義派の弾圧に経済面での協力をする傍らでイスパール教国の役人や商人と協力して、クラーヴェの王侯貴族側と農民軍の両方に資金や武器を
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