第1章 ある日の朝

 冬の朝、眠りについていた俺に絡みつく体が離れる感触がした。布団の中の暖かな空気が動き意識が戻り始める。俺はもうそろそろ起きる時間なのかと目を開けた。

「…もう時間なの?」

「ごめんなさい。起こしちゃいました?まだ大丈夫ですよ。」

女は囁くようにそう言うと柔らかな笑みを見せる。

「後でちゃんと起こしてさしあげますからね。それまで寝ていて下さい。」

「…お願い。」

 銀色と見紛うばかりの白髪と血の様な赤い瞳を持つその女は、俺の肩まで布団を掛け直すとぽんぽんと優しく叩く。たちまち俺は二度寝の心地よさに落ちて行った…。
 心地よい時間はあっという間に過ぎ去るもので、俺は女に肩を軽く揺すられ目を覚ました。

「おはようございます。佑人さん、もう時間ですよ。」

「おはよう有妃ちゃん。……今日も寒いな。」

 上体を起こした俺は思わず寒さに身を震わす。エアコンはまだ効いていない。吐く息は白く、窓はびっしりと結露している。暖かい布団からすぐには出たくない俺はそのまましばらくじっとしていた。

「もう…。仕方ない人ですねえ。そんな佑人さんにはこうしちゃいますよ。」

 女、有妃はやれやれとでも言いたそうに微笑むと俺の体に絡みついた。上体を抱きしめると白く長い蛇の下半身を器用に巻き付ける。有妃の体温がじわじわ伝わってきてとても心地よい。
 そう、有妃は人では無く魔物娘。白蛇と言う種族だ。寒い朝は彼女の長い蛇体で体を温めてもらうのが毎日の日課になっているのだが、有妃はこんな風に俺をいつも甘えさせてくれる。

「どうです?あったまりましたか?」

「ああ。とても暖かいよ。毎日悪いね。」

「いいえ。いつもの事ですから。さて、もうご飯は出来ていますよ。このままテーブルまで抱っこして運んでさしあげましょうか?」

 有妃はからかう様に言うとそっと笑った。

「いいって、いいって。自分で歩くから。」
 
 慌てた俺は布団から出る。以前あまりに眠い時、甘えるように布団まで抱っこして運んでもらったのだが、しばらくその事をネタにからかわれてしまった。
 何かというと抱っこしてあげましょうか、と言われクスクス笑われてしまうのだ。我ながらさすがに恥ずかしい事を頼んでしまったと思い後悔したが、有妃はそんな俺の姿を見ているのが楽しいらしい。今でも時々こうしていじられてしまう。

「いいかげん勘弁してくれよ。有妃ちゃん…。」

「駄目ですよ。恥ずかしがっている佑人さんを見るのが大好きなんです。とっても可愛いですよ。」

彼女に、にこにこしながらそういわれると俺も苦笑するしかない。

「それじゃあご飯頂こうかな。あ、その前に着替えてくるよ。」

「ええ、いつでもどうぞ。」

 食卓に行くと有妃は早速味噌汁を出してくれた。俺の好きなほうれん草と油揚げの味噌汁を飲むと、暖かく優しい味が口に広がった。寒い季節にいただく温かい味噌汁は心からほっとする。

「まだおかわりありますよ。たくさん食べて下さいね。」

「うん。ありがとう」

 礼を言う俺に小さくいいえと答えると有妃は穏やかに微笑む。なんの変わりもない何時もの朝の光景だ。
 朝食を食べると出勤時間まで俺はしばらくぼうっとする。とても暖かい部屋。ずっとここに居たい。この寒さの中での出勤は正直憂鬱だ。そんな思いがつい呟きとなって漏れてしまう。

「仕事行くの嫌だな…。」

「お仕事そんなに嫌ですか?」

 有妃は耳ざとく聞き付けると、心配そうに俺の顔を見た。

「前にも言いましたけど、私は佑人さんと毎日ずうっーーーと抱き合って暮らしていけたらどれだけ素敵だろうかって思っているんですよ。実際そうするだけで私たちは生きて行く事が出来ますし。つらいならなにも無理に仕事に行くことは無いんです。あなたにはどこにも行かず私のそばにいて欲しいというのが正直な気持ちですよ。」

 有妃は諭すように語りかけると蛇体を俺の体に巻き付けた。痛みも息苦しさも感じないが、俺はしっかりと拘束されてしまった。

「心配かけてごめん。俺は大丈夫だから。あんまり寒いもんでちょっと憂鬱になっただけだよ。」

俺は有妃の耳元でささやくと頭をそっと寄せた。彼女の髪の甘い匂いに胸が切なくなる。

「…これは私の同族で先輩にあたる人の話なんですけどね。」

有妃は俺の頭をなでていたが、急に思い出したように話し始めた。

「うん。」

「その先輩には幼馴染で恋仲の方がいらっしゃったのですけれど、その方も先輩に大丈夫だよ。何も心配ないよ。と言いながらも自ら命を絶とうとされたんですよ。」

「それで、その人はどうなったの…。」

「はい。先輩が気にかけていたので大事には至らなかったようです。今では先輩のお婿さんになって幸せに暮らしていらっしゃいますよ。」


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