月とスキュラの夜想曲

風の強い、晩秋の夜だった。雲ひとつない夜空を見上げながら、俺は釣り糸を垂らしていた。

那由多の星々が彩る天蓋に、月が美しく輝いている。よく澄んだ空だ。いつもならぼんやりとしか見えない西の三色連星が今日はよく見える。そんな美しく澄んだ空とは対照的に、海面はどこまでも深い闇に覆われている。月の僅かな明かりだけが、磯に打ち付ける波を浮かび上がらせていた。

くん、と釣り糸を引く感覚が、腕に伝わる。覚えのあるその動きに思わず相好を崩しながら、俺はゆっくりと釣り糸を引き上げた。
やがて、釣り糸を指先で掴んだメリアが、暗い海面に姿を現せた。

「どう、アデル。釣れてる?」
「今日はまだボウズだよ」

彼女がゆっくりと海から上がってくる。
肩まで伸びる癖のある赤毛。蒼く澄んだ切れ長の瞳。水に濡れた肢体は月明かりを浴びて、透き通るような白さを際立たせている。
紫色の腰布から下にはタコに似た八本の足が蠢いていた。彼女は人間ではない。スキュラと呼ばれる海の魔物だった。

「そう。まあ、アデルって釣りが下手だものね」

岩場に上がってくるメリアのために、俺はそっと体を脇に寄せた。そこにメリアが長い触手を器用に折りたたんで腰を落ち着かせる。服を通して伝わる彼女の体温が少しだけこそばゆい。
視界の端に映るメリアの表情には、かすかな笑みが見て取れる。白磁のような頬に少しだけ赤みが差していた。

「いいんだよ。もう一番の大物は釣り上げたし」
「それって私のこと?」
「他に誰がいるんだ」

問いかけに小さく首を振りながら、釣り糸を海に投げ込む。釣り針は暗闇の中へと飲まれ、あっという間に見えなくなった。
針が海に落ちる音にメリアの芝居がかった溜息が重なった。

「なら間違ってるわ。アデルが私を釣ったんじゃなくて、私がアデルを捕まえたのよ」
「捕まった覚えはないんだがな」
「骨抜きにされた、でもいいわよ」
「骨がないのはメリアの足の方だろう」

メリアが口を噤む。それが不快感によってではない事は、忍び笑いから伝わってきた。
一際強い海風がメリアの髪を弄ぶ。彼女は顔を上げて、空に見入っていた。つられるように俺も空に目を向けた。

「アデルと会ったのも、今日みたいな夜だったわね」

彼女の言葉に、かつての記憶が蘇る。メリアと出会ったのも今日みたいに月の綺麗な夜だった。
満月の浮かぶ静かな海。打ち寄せる白波の中、彼女はただじっと月を眺めていた。降り注ぐ淡い月明かりに照らされる彼女は幻想的で、この世のものとは思えない程、美しかった。捕まったという表現はたしかに間違っていないかもしれない。はじめて会ったその日から、俺はメリアに魅了されているのだから。
月日が経つのは早いものだ。あれからもう一年が経とうとしている。

「あの時のあなたには驚いたわ。だっていきなり、月が綺麗ですね、なんて言うんだもの」

眼差しを夜空に投げかけたままメリアが呟く。言葉の意味が分からず、俺は思わず眉をしかめていた。
別におかしい事をいったつもりはない。本当にあの日の月は綺麗だった。例えそれが、彼女に見とれていた事を誤魔化すつもりで出た言葉だとしても。驚かれる理由はなかったはずだ。
そんな考えが伝わったのだろう。メリアが苦笑を浮かべながら説明してくれた。

「その言葉、ジパングだとプロポーズの言葉なのよ?」
「…そうだったのか。だからあの時、顔を真っ赤にして逃げたのか」
「あれは魔物としては、一生の不覚だわ。どうせならそのまま襲っちゃえばよかった」

メリアは屈託のない笑みを浮かべながら肩を震わせていた。思えば、彼女がこうして笑う姿を見せるようになったのは、ここ最近の事だ。昔のメリアはどこか硬さの残る表情を浮かべてばかりだった。彼女はこうみえて臆病で、人見知りの傾向がある。それは、初見で俺から逃げ出した事からもよく分かる事だった。
彼女は見知らぬ相手と接することを極端に恐れている。人目のある昼間を避けて夜中に逢瀬を重ねているのも、それが理由だった。

「今日は寒いわね」

強い海風が飛沫を巻き上げ、俺たちの体を濡らしていく。吹きすさぶ風は冬の到来を告げているようだ。
メリアが濡れた体を擦り寄せてきた。甘えるような彼女の動きを感じながら、俺は小さく呟いた。

「もうそろそろ冬だからな」
「…それだけなの?」

メリアは恥らうように顔を赤らめ、潤んだ瞳で俺の事を見つめている。不満そうに唇を小さく尖らせる様子に、思わず苦笑が零れた。強気な割に臆病な彼女らしい曖昧なアプローチだ。
俺は釣り竿を傍らに置き、彼女の柔らかい体を抱き締めた。俺の肩に顎を乗せ、メリアが小さく呟いた。

「もう…女に恥をかかせるなんて…あなたって本当にひどい人ね」
「悪かったよ」
「だめ。許さないわ」

細くしなやかな腕で掻き抱か
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