亡命者の手記

住み慣れた故郷を発ってどれだけ経っただろうか。
長距離の徒歩により足の豆は潰れ、一歩踏み出す度にブーツの中で酷い痛みを発している。
重い荷物を背負い直す度に肩紐が食い込んだ部分が悲鳴を上げ、すぐにでも荷物を投げ出したくなる。
それだけではない。
ブーツの間から入り込んだ雪が体温で溶け、靴下を水浸しにし始めた。この分では足が凍傷になり腐り落ちるのにもさほど時間は掛からないだろう。職業が職業だけに嫌でもわかる。

ことの起こりは私の故郷が他国からの侵略を受けて敗北、占領下に置かれた事に始まる。
本来であれば魔物との戦いに向けて力を蓄えなければいけないこの時勢、それでも人間同士の争いは無くならない。

私は故郷では看護兵をしており、日々訓練などで軽い怪我や、重傷などで運ばれてくる兵士達の救護をしていた。
本来であればそれ以外での救護活動など、無いに等しかったのだ。
訓練以外での傷病は皆無……というのも魔物と遭遇して生還した兵士がいないので、私達の主な仕事は訓練中の怪我の看護程度に留まっていたのだ。
つまるところ、軍属でありながらも至極平和な日々を送っていたのだけれど、つい先日状況が一変した。

隣国からの唐突な宣戦布告。

当然その青天の霹靂とも言える侵略宣言に私達は一切抵抗する事もできずにあっという間に制圧されてしまった。
その日の地獄のような出来事は今でも忘れる事ができない。
次から次へと運ばれてくる負傷兵。
あるものは肩を切り裂かれ、ある者は腕がもげ、ある者は腹部に大きな裂傷を抱えて運ばれてくる。
たちまち救護所は血液が発する鉄錆に生肉を混ぜたような匂いでいっぱいになり、文字通り地獄と化した。
血の匂いでえづきながらも看護を続ける新人の看護兵を励まし、痛みに喘ぐ兵士の手当をし、手遅れになってしまった兵を看取り……永遠に続くかと思われた地獄は自国の敗戦という報と同時に唐突に終わった。

敗戦処理はほぼ滞り無く行われた。
おそらく隣国は最初から魔物など眼中に無く、自国の領土を広げて利益を搾取する方を優先していたのだろう。
つまり、この侵略は予め計画された物であり、魔物との戦いに備えているように見えたのは単に周辺国家への侵略の準備を進めていたに過ぎなかったのだ。

周辺国家を侵略し、その領土を増やしていった隣国だが、遂にはその行為が自分に仇となって返る時がやってきた。
教団からの通達で自国の最低限の守りを残し、他全ての兵力を徴収すると通達が来たそうだ。
隣国は一瞬にして、湖の魚を自由に飲み込む水鳥から首に縄を付けられて魚を取ってくる鵜になってしまった。

当然その兵力は私の祖国からも出される事になる。
そして今度の大侵攻の行き先は……魔界だという。
当然帰って来られる保証などどこにもない。魔物との戦いで帰ってきた者を私は寡聞にして知らない。
完全に自殺行為だった。

当然そんな命令に従う人間は私達の中にはいない。
主神への信仰はあれど、『さぁ、死ね』で『はいそうですか』となんの疑問を抱かない程の狂信者は私達の中にはいない。
皆が皆示し合わせたように夜中に祖国を離れ、思い思いの方向へと亡命をする事になった。
私はというと……逃亡最中に運悪く徴兵にやってきた隣国の兵に見つかり、這々の体で逃げ出す事に。
まだ雪がうっすらと残る森の中を突っ切り、獣道を走り、気が付けば猛吹雪が吹き荒れる山の中に放り出されていた。

「今日は……酷い厄日ね。山越えの準備なんてしてきていないのに……」

元々寒い地方だったので防寒対策はしっかりしていたのだが、雪山ともなると話は別になってくる。
そもそも地元民ですら冬山はおろか麓の森林にすら入ろうとしない。この極寒の時期には森の中ですら雪が降り積もり、ろくに身動きが取れなくなるのだ。正直山の中に逃げ込めたのは不幸中の幸い……いや、そもそも入り込めた事自体が不幸だと言うべきか。
少なくとも森より山の方が気候は厳しい。
そして、地元民が入らない別の理由がある。



イエティの存在だ。



それこそ童謡にもなるぐらいこの山のイエティ伝説は事欠かない。
やれ連れ去られたきり二度と戻らなかったとか、やれ森の中でそれらしき影を見かけたとか……子供のしつけにも使われた所を見るに身近な存在でありながらも非常に恐ろしい存在でもあったのだ。

「っ……!足の感覚がなくなってきた……まずいわね……」

せめてこの雪をしのげる場所があれば話は別なのだが、辺りはいくら見渡せど雪、雪、雪ばかり。
かろうじて分厚い雪雲を透かして陽の光は届いているが、日が沈めばそれこそ何も見ることのできない真っ暗闇になるだろう。
陽の光も届かない中、足も凍傷でろくに動かせずに吹雪の中で立ち往生……最悪も最悪、それは死を意味する。
カンテラ?無意味無意味。だ
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