「何で俺がこんな目に……」
昼間とは打って変わった冷気に肩をすくめて、ヨアンネス王国の騎士ローワンはこの道中で何百回と繰り返した呪いをもう一度舌に乗せた。
鎧に刻まれた日除け渇き除けの護符は、寒さ除けの護符へとその機能を切り替えている。
雲ひとつなく、空気を澱ませるあらゆる原因がない砂漠の星空は、かえって絵空事じみて美しい。
横のラクダが引いているのは、「ワーム籠」と言われる、半ば酔狂で作られた鋼鉄の檻だ。頑丈さには比類がなく、投石器を最大威力で命中させたところで歪みもしない。
その中では大人の腕ほどもある鎖に、蓑虫じみて首から下をがんじがらめにされている青年がいた。砂漠への追放刑の一環としてその下は下帯ひとつ。
常人であればここまでの道のりで死んでいなければおかしい。だが囚人の顔には一片の苦痛もなく、穏やかな脱力は笑みにすら見える。
体格は戦士としてはまずまず、と言ったところ。一見矛盾しているようではあるが、“凡庸な美形”という形容がこれほど当てはまるものもあるまい。
人を惹き付けることも人に拒まれることもない、いわゆる吟遊詩人泣かせの顔であった。
彼こそ誰あろう、かつて“大街道”の守護者ヨアンネス王国にあって救国の英雄とうたわれたラウール卿である。
フェルドザガンの城塞を一刻と経たずに灰燼と為し、練達の魔法戦士で構成されたルルザドブの“熱血兵団”千二百を傷一つないままに退けた超人。
美酒美食財貨権勢、そして美女。ひょっとしたら知識や平穏や闘争すらも。およそ俗世で欲望と呼ばれる全てをもたない、人の形をした仕組み。
城塞を打ち砕き軍勢を退ける“別格”の勇者だが、個々の魔物と刃を交えた経験は驚くほど少ないともいう。
あまりにも強すぎる力によるものか、常人とは異質なその心根がゆえか、さもなくばその両方か。
ともあれ魔物にとってラウールの存在は地響きを上げながら進む大軍のように恐ろしいものであるらしい。
ラウール卿が通るまでに引っ越した一族は魔物であるというヨアンネス王国の風説は、ここに由来する。
またラウールを護送する兵士たちがもっぱら囚人ばかりを恐れ、足元に潜んでいるはずのギルタブリルやサンドウォームに警戒していないのもそういった理由であった。
石弓を向け、油断無く長槍の感触を確かめながら、わずかな徴候も見逃すまいと必死になっている。それは殆ど、戦火を前にした庶民が向ける祈りのようなものであった。
ローワンはこの勇者が罪状通りの悪人とは思えなかった。
勇者が婚約者であった王女を殺そうとした。許せないとは思うし、納得もいかないが。
そういう事もあろうかとは、思う。
人の骨肉を備えた神の使徒と呼ばれる勇者にも言葉に出せぬ何かがあるのだと思えば、いっそ愉快ですらあった。
その結果、近年封印されていた南方の大砂漠への追放刑が執り行われることとなった。これも問題ない。
このような罪の場合、その場で命を召し上げることはむしろ慈悲でさえある。
だが、その護送の指揮をローワンが取らねばならない。
これは大いなる理不尽だと、本人は思っていた。
ローワンはヨアンネス近衛兵の百人隊長である。
王の覚えめでたく若輩ながらも士官の地位を勝ち得、幸いなことに同僚や部下たちからも慕われている。
だからこそ、困難な任務においても責務を果たすのだろうと期待された。
今まではそれを誇りと思い、余人であれば死んでいただろう命令にすら、ほとんど嬉々として勤め上げてきた。
だが大砂漠の過酷な環境は、ローワンの忠誠にすらひびを入れるのに十分なものであった。いかに強靭な鋼であっても火を入れ水に晒すうちに脆くなる道理である。
「ラウール卿。そろそろ良いのではないかな。
何故王女に……ファラ様に、あのような真似をなされた?」
だからこそ、近衛としては禁句とも言えるこの質問が、つい口をついてしまった。
右で馬にまたがっていた副官アンゼリカも、いつもの口うるささが嘘のように、止めようとはしない。誰もかれもが、砂漠にはうんざりしていたのだ。
「……ファラは、魔物だ……」
答えがないものと半ば諦めていたが、ラウールはうっすらと目を開けて答えた。
始めて聞くその声は意外とか細く、しわがれていた。一月も二月も誰とも喋れなかった囚人が似たような声になるのを、ローワンは知っていた。
「俺は……ファラの部屋に行った……シャルルがいた……二人が、裸で抱き合っていた……ファラの腰から下は……蛇だった……」
ローワンの顔から血の気が引いた。隣を見れば副官も同様である。
近衛騎士団長シャルル。勇者ラウールの唯一と言っていい親友であり、勇者の凶行から王女を守り仰せた英雄。
そして勇者が放逐されたあと、王の娘婿
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