彼は走っていた。戦場から逃げるために走っていた。生い茂る木々をかき分け、枝に刺さり、木々の根に足を捕られながらも懸命に。
息も絶え絶えになるもようやく森を抜ける。
「ここまで来れば大丈夫なはず……」
そう言い彼は大の字に倒れこみ、空を仰ぐ。
「はは……」
余力で彼は乾いた笑い声を漏らす。
ーやっと自由になれたー
彼は自由になりたかった。厳格な教団国家に生まれ育った彼だが物心ついたころからどこか居心地の悪いものを感じていた。とくに貧乏であったわけではない。親に不満があったわけでもない。むしろできの悪い息子をよく育ててくれたと彼は感謝している。なぜ、こんなにも居心地が悪いのか彼自身もよくわからなかった。ただ、善良であれと教えられ、教会の言っている正義のために戦うことが正しいと当たり前で、それを疑問と思わずに信じている周りの人間に馴染めなかった。‘なぜ、疑問に思わないのだろうか?’
ー世界はもっと広いはずなのにー
彼は戦場に行くまでは逃げようなどとは微塵も思っていなかった。しかし、いざ敵が現れ、味方の兵士が咆哮をあげ突進していくさまを見て、冷めてしまった。特別に、大切な理念などない。だが、一度も信じたこともないそんな教義のために殉じることなどできはしない。親、兄弟には申し訳ないとも思ったが、彼はそれ以上に思ってしまった。自分の人生を生きてみたい。ここで死にたくないと。
だんだんと息が整っていく。今は夜だ。瞬く星は彼には一際、綺麗に見えた。ふと星空が何かに遮られる。
「…生きてるのかしら。」
静かな声で何かが彼を覗き込み言った。彼は声に反応し素早く身を起こしその何かと距離を置く。
月明りに照らされ、見えたものは魔物だ。下半身は毛の生えた蜘蛛のようなもので、人の形をした上半身はローブのような服を羽織っている。顔はフードを被っていて見えない。
「こんばんは。」
透き通った抑揚ない声で魔物は挨拶した。その姿は月の光と相まって神秘的だ。だが、一目で人外とわかる容姿は彼を刺激した。
彼は腰につけたナイフで魔物に切りかかる。ここまで走ってくるのに甲冑など重量のある装備はほとんど捨ててしまったので、彼が頼れるものはそのナイフだけだ。あとは身一つでこの状況をどうにかしなければならない。
彼が切りかかると魔物は身をかわす。あまりに勢いよく切りかかったのでそのまま地面に転がってしまう。急いで体制を立て直し彼は魔物に向かい合う。
魔物に驚いた様子はない。敵意に晒されるのを慣れているようだ。しかし、かわした際にフードが脱げて顔が晒される。
彼が見た魔物の顔はまだ幼い少女を思わせるものだった。すこし申し訳ないような表情を浮かべながら彼を見据えている。
すぐにでもり切りかかろうと思っていた彼だが、その容姿と表情を見て躊躇してしまう。
「そうか……うん。教会の人は魔物は人を食らうと教わっているんだっけ。」
魔物は顎に手を置き、目を伏せてそう呟く。考えが纏まったのか、魔物は彼を真っ直ぐ見据えて言う。
「私は……私たち魔物は人を食らいません。私はあなたになんの危害も加えません。ですから一緒に来ていただけませんか? この平野を超え、隣の国へ渡っても生きていけるとは限りませんよ。隣は教団国家ですから一人逃げて来たあなたを不遇な扱いをするかもしれません。私たちについて来て頂ければ私たちのの国の戸籍と仕事を与えましょう。信用できないかもしれませんが居心地悪く野垂れ死にするよりはいいでしょう。どうですか?」
あまりに魔物が理性的に喋る様を見て、彼は面食らいナイフを下す。しかし、納得がいかないのか眉間に皺を寄せ、魔物に聞き返す。
「なぜ、そんなにいい条件を言うんだ?」
「あなたを逃がせば私が怒られるもの。」
なんの気もない平坦な口調で、飾り気もなく言う。しかし、少し苦い笑顔を浮かべながら“彼女”は言うのであった。
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