悦楽よ、我が魂を震わせたまえ

 ダークスライムが失神から目覚めると、そこは見知らぬ空間だった。
「……どれくらい寝てたんだろ」
 全身を蝕む倦怠感と疲労感が、彼女の体内時計を著しく狂わせていた。
 魔力が枯渇しているせいか、ただ身動ぎするのも覚束ない。かろうじて粘液質の体を少女の形に留める程度には残っているようだが、しかしそれだけの事だった。魔法を使ったり、積極的に動き回ったりするにはまるで足りない。
 今はただ、仰向けに寝転がってぼんやりと天井を眺めているだけである。
「……なんだろう、あれ」
 視線だけを動かして、自らの置かれている環境を確認する。
 天井から前後左右に至るまでを、透明なガラスで囲われていた。その向こう側には白で統一された壁と、使い道の解らない様々な実験機材が所狭しと並べられている。医者の診療室か、はたまた科学者の研究室か……どちらにせよ無機質な光景である。どうやら彼女が居るのは室内に設けられたガラス張りの小部屋であるらしい。
 まるで動物園の見世物にでもなったような気分だった。
 距離に換算すれば10メートル四方といったところだろうか。部屋の内部には自分の他に誰も居ない。そのせいか、やたらに広々とした印象をダークスライムは感じていた。同居人はおろか椅子やテーブルといった調度品さえもが取り払われ、何処までも薄ら寒い虚無感に満たされている。出口が見当たらないのもまた不気味だった。
「お目覚めのようですね」
 不意に投げ掛けられた声に、一瞬だけ少女の体が硬直する。
 じろりと半眼を向けると、いつの間にかガラスの向こう側に見知った人影が立っていた。
「ご気分はいかがですか?」
「最高だよ。趣味の悪いスーツ着た眼鏡のお兄さんをヒぃヒぃ言わせる夢が見られたから」
「それは良かったですねぇ」
 皮肉をたっぷりとブレンドした返答に、しかし純白のスーツで身を固めた男性……コンラッドは余裕たっぷりに相槌を打った。彼我の置かれた現状を鑑みれば当然の反応だろう。
「ねぇ、ここは何処? 新手のラブホテルにしては雰囲気ないけど」
「私の住まいです。正確にはその地下に設えた研究施設のひとつですね」
「ふぅん。まあ何でも良いけど。さっさと出してくれない?」
「お客様をお迎えしておいて、歓待もせずに帰すような無作法は出来ませんよ」
「堅苦しいなぁ。私とお兄さんの仲じゃない、そんな畏まらなくて良いのに」
 圧倒的に不利な立場と彼の気取った物言いに、ダークスライムは心中で渋面を浮かべる。
 出会いこそ好意的だった――互いに目的は異なっていたが――両者の関係は、今ではその形骸が会話の上辺に浮かぶのみとなっていた。捕食する側とされる側は完全に逆転し、ガラスで造られた奇妙な檻が明確に2人の立場を具現化している。
 緩慢に身を起こしたダークスライムに出来たのは、驕慢な空気を纏うインキュバスの魔術師を、真っ向から睨み付ける事だけだった。
「で。こんなガラス部屋に女の子を閉じ込めて、お兄さんは私をどうしたいの?」
「魔術師が興味深い素材を手に入れてする事と言えば、決まっているでしょう?」
「……成る程ね。私の体を隅々まで弄り回したいってわけか」
「色々と誤解を招きやすい物言いではありますが、まぁそうです」
 好色な魔物娘らしい解釈に、思わずコンラッドは苦笑した。
 ただ単に魔法を扱う者を魔術師とは呼ばない。彼らの本分とはあくまでも真理の探究であり、魔法とはそれを成し得る為の手段あるいは副産物でしかないのだ。『魔物狩り』と呼ばれ、自身の存在を人ならざる者――インキュバスへと変質させるまでに対魔物戦闘へ特化したコンラッドであっても、内包する未知への興味は不変だった。
「私は魔術師協会からの要請を受けて、効率的な魔物の無力化について研究しています」
「は? なにそれ、どういう事?」
「どういう事だと思います?」
「質問に質問を被せるのはマナー違反なんじゃない?」
「おっと。これは失礼」 
 気障ったらしい仕草でコンラッドが謝罪する。いちいち繰り出される貴族のような挙動に辟易しながらも、ダークスライムは続きを促した。
「では話を戻しましょう。現在、魔物は積極的に人間と関係を持ち、人間社会というシステムに組み入ろうとしています。目的は種の存続、あるいは糧として『精』を得る為にです」
 朗々と語り始めたコンラッドの弁に、ダークスライムは無言で頷いた。魔物である彼女にしてみれば常識以前の話だ、わざわざ説明される程の事ではない。
 魔物の殆どは、今や人間との関わりなくしては次世代に命を繋ぐ事が出来なくなっている。現魔王であるサキュバスの放つ魔力が、遺伝子レベルから魔物の生態を造り変えてしまったからだ。何故そうしたのかは、誰もが首を傾げざるを得なかったが。
「魔物の多くは人間に対して友好的で、そのうえ
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