再開発促進街区。俗に西街区と呼ばれているその場所は、夜闇の静寂を引き裂くような喧騒と怒号に満ち溢れていた。携帯型の魔力波計測器を携えた自警団員がそこかしこを駆け回っている。その様子から察するに、まだ使い慣れていないものが多いのだろう。
魔力波計測器は元来、未開の地や古代遺跡を調査する際に、其処に潜む魔物の早期発見を目的として製作された魔法具である。魔物に関連する事件が多いオルネスト市が治安維持の観点から試験的に導入を始めたはつい最近の話だった。当の自警団員らも実際に使う機会がこうも早く訪れるとは思ってもいなかったのだろう。
「市内における下水道の出入り口は、全て封鎖が完了しています」
現場に到着したコンラッドを案内しながら、クリミア・シャーウッドはよく通るハスキー・ヴォイスでそう告げた。現役時代はドミニク・ロッドウェル大尉の部下として国境線の防衛に従事。彼が退役した後もその人柄を慕って追い掛けるようにオルネスト市に移住し、現在は自警団の訓練にあたっているという異色の経歴を持つ女性である。謹厳実直を絵に描いたような人柄と容姿から、同僚達には『軍曹』の階級を冠して呼ばれる事が多い。とても三十路を間近に控えたとは思えない若々しさだが、下手にちょっかいを出せば得意の軍隊格闘術で返り討ちにされるので注意が必要である。
「現在地は?」
「恐らくB−3地点に潜伏しているものと思われます。今のところ計測器の振幅が最も強く、また被害者の発見された場所からそう離れていません。確度は高いかと」
仮設テントに広げられた下水道全域の地図に目を落としつつ、コンラッドは頷いた。クリミアが指差した『B−3地点』へと続く道は、彼らが今いる下水道入り口から真っ直ぐに道が繋がっている。これならば、途中で迷うような事もない。
「成る程。では先ずそこから攻めますか。貴方がたは引き続き計測をお願いします」
「了解です。それと道中の護衛ですが、私があたらせて頂く事になりました」
淡々とした口調に職業軍人だった頃の自信を混ぜ込みながらクリミアが言う。
しかし。
「要りません」
コンラッドはその提案を一蹴した。
「……は?」
「内部に降りるのは私だけで結構です。クリミアさんは邪魔をしないよう、魔法具ひとつも満足に扱えない自慢の部下を指導して頂ければそれで結構です」
相手の立場や感情をまるで慮る様子のない、自分勝手な言動。当然の如くクリミアは不快感を示した。鋭い目付きが険しさを増していく。コンラッドが魔術師でなかったら殴り飛ばしていたに違いない。
魔術師という人種は総じて自尊心が高い傾向にある。人間の常識を遥かに凌駕する能力や国府から与えられた数々の特権が、多くの魔術師を傲慢にさせるのだ。あるいはそれを羨む者の嫉妬に対抗する為の防衛意識がそうさせているのかもしれない。
ランタンの明かりに照らされた下水道の入り口を眺めるコンラッドを、クリミアは真っ向から睨み据える。彼の実力はクリミアもよく知っていたが、だからといって独りで魔物に臨むなど、作戦の遂行に大きなマイナスを与えかねない。
「失礼かもしれませんが……勝率はいかほどですか」
「貴方の求愛にドミニクさんが応じる可能性よりは高いかと」
「……っ!」
瞬間的に脳が沸騰する感覚を完全に抑え込むのは、さしものクリミアにも容易では無かった。握り拳を振り上げるのはどうにか我慢できたが、代わりに剥き出しの敵意が全身から発散されている。その様は周囲に居た他の自警団員が慌てて彼らから距離を置こうとした程だ。
「おや。怒らせてしまいましたか?」
「………………」
「そう睨まないでください。ほんの冗談ですよ」
思い付く限りの罵詈雑言を脳内で捏ね回していたクリミアに、当のコンラッドはあくまで慇懃な態度のまま訂正した。
軍隊を抜けてまで元上司に付き従ったのは彼の人間性に憧れたからであって、決して恋慕の情が介在していた訳ではない――というのが常々クリミアが繰り返している主張だ。不用意にその辺りの事情を突かれる事は彼女にとって最も侮辱的な行為なのである。
それを知った上で、意味も無く『単なる冗句』を口にする。
悪趣味にも程があった。
「戦闘行為の巻き添えになる可能性がある、というのが実際のところです」
「ならば問題ありません。自分の身くらい自分で守れます」
「無理ですね」
クリミアの反駁がいとも簡単に切り捨てられる。
「理由はふたつあります。まずひとつがダークスライムの特性です。彼女らは人間の女性と遭遇した場合、同化吸収を試みます。それも真っ先にね」
「…………なっ」
「その後、対象者の体構造を分解・再構成し、最終的に相手をダークスライム――つまり自分の同胞として『出産』するのです。下手に近付けば敵を増やすだけの結果にな
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