夢であってくれと願いたかった。
あぁ……何故こんな事になっちまったのか。
探せば理由は幾らでもある。思い出したからといって現状を打破する事など出来ない理由が。
家が遠かった。酒も入っていた。雨が降っていた。ふらふらと夜道を歩いていたら、目の前に無人の屋敷があった。扉は施錠されていなかった。周りには誰も居なかった。
そして街外れにあるこの屋敷は、俺がまだガキだった頃から『化物の住処』として知らない奴は居ないくらいの有名な怪奇スポットだった。
だから、アルコールの勢いに任せて面白半分で屋敷の探検に乗り出しちまったんだ。
どれもこれも、人並みの常識さえ持ち合わせていれば回避できた些細な理由に過ぎない。
加えて言えば、ギャンブルで一文無しになっちまって気分最悪だったってのも大きな理由だ。
……何にしても自業自得なんだけどな。調子に乗って大穴を狙いすぎたんだから。
全ては、俺の迂闊さが招いた不幸だったって訳だ。
まぁ、今更それを悔いたって元に戻れるわけでもなし。おまけに現状が変わるわけもなし。
今を行動しなきゃ状況は何も変わらねぇ。昔の事には拘らねぇ。
だから――。
「のわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
俺は埃臭く薄暗い廊下を、ひたすらに走り続ける。
「待ってくださぁぁぁぁい!」
「誰が待つかボケぇぇぇぇ!」
背後に迫る異形の魔物……デビルバグから逃れる為に。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
俺の仕事は冒険者……なんて呼び方をすりゃあ格好はつくが、まあ要するにゴロツキだな。街の連中からは『頼まれ屋のベリウス』なんて呼ばれてる。
その二つ名が示す通り、頼まれさえすれば何でもやる。メインの仕事は街に住んでる魔術師からの依頼を受けて、街の外から希少な研究材料を運んでくる事。薬草だったり毒虫だったりと品物のバリエーションは様々だが、何にせよ外壁に囲まれた安全な街中では手に入らないものばかり。そんなわけで俺は、街の外に出る機会が普通に暮らしてる奴の数倍は多い。
だから、こいつらの事も――会った事こそ無ェが――それなりには知っている。
デビルバグ。
ゴキブリと人間を合わせたような外見を持つ昆虫型の魔物だ。こいつは洞窟やら湿地帯やら、暗くて湿った場所に好んで住み着く。数十匹単位の群れを作って行動し、腐った死骸だろうが動物の糞だろうが構わず食って栄養に変える。劣悪な環境でも充分に生き延びる事が出来る強靭な生命力が特徴だ。
とまぁ、ここまでがデビルバグという魔物について、俺が知る限りの情報だ。黒光りする触角や羽といった特徴を除けば、外見は可愛らしい年頃の女そのもの。薄暗い環境で群れを作ろうが腐肉やクソに群がろうが害は無え。……ならどうして、俺が必死に逃げているかというと。
魔物は人間を――とりわけ男を、魔界に連れ込んで奴隷にしちまうらしいからだ。
これは王室に召し抱えられてる高名な研究者が、長年に渡ってリサーチし続けて得た確かな情報なんだそうだ。女の姿をしているのも人間を誑かす為の擬態らしく、その本性は悪逆非道。どこまで剥いても化粧ばかりで、人間の女なんざ足元にも及ばねえ程だとか。
そんな危険な奴に追い掛け回されちゃ、誰だって逃げ出して当然だわな。
「お願いですから止まってください待ってください!」
「だから待たねぇって言ってんだろうが!」
「そこを何とか!」
「お断りだ!」
不毛な問答を繰り返しながら、俺は廊下をひたすらに駆け抜ける。借金取りから逃げ回る事で鍛え続けた自慢の俊足だ、そう簡単には捕まらねぇ。引き剥がされる事なく一定の距離を維持し続けているのは流石に魔物といったところだが、体力面では敵うまい。
しかし。
「うおっ!?」
廊下の角を曲がったところで、俺は慌てて踏み止まった。ここさえ抜ければ玄関ホールに辿りつけると思ったのだが……まさか床板が腐り落ちてるとは運が悪いにも程がある。振り返ればデビルバグはもうすぐそこまで迫っていた。
「ちっ。考える暇も無しかよ!」
生涯で初めて訪れたモテ期の相手がゴキブリ少女だなんて最高の罰ゲームだ。恨むぜ神様。もしも出会う機会があったらその時はケツからゲロを飲ませてやる!
すぐさま手近にあった小部屋に飛び込む。朽ちかけた扉を閉じると同時に自分自身を重石の代わりにして固定。魔物には怪力の持ち主が多いらしいから気休めに過ぎないかもしれないが、それでも無いよりはマシだろう。鍵は錆びて動かないし、家具を動かしている時間もない。こうして背中を押し付けるのが今の俺に出来る精いっぱいだった。
「人間さん! ここを開けてください人間さん!」
「断固として断る!」
扉の向こうで、乱暴なノックの連打と共に女の声が聞こえてく
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