【序章】
あれは小学生の時分であっただろうか。
校舎の裏庭で、猫が死んでいた。幼い体は既に朽ち、虫達が毛皮の裏表を奔走している。
だというのに、その金色の瞳だけは不自然なまでに美しく、私をぎろりと睨めつけていた。
私は恐怖し、その場から逃げ去った。何も出来ない自分が情けなくて。あの瞳が、私を責めているようで。以来、私は猫を避ける様になった。特に斑模様の猫を。
「最悪だ」
遮光カーテンの薄暗闇の中、クーラーが生命維持装置の様に低く唸っている。
久々に、あの猫の夢を見た。あれから20年は経過しているというのに、神様はまだ私を赦してくれないらしい。
8月。既に暑さを予感させる午前7時。集積所にゴミを出しに来た私の頭が、途端に覚醒した。
仔猫。アスファルトに伏せたまま硬直している。乾いた斑模様の毛を、風が無造作に揺らした。
土曜の朝、人の気配はまだ無い。私はアパートの部屋へと逃げ帰った。
「これは、チャンスなのか」
あの時出来なかった事を、今やれと。視線の先に、田舎から送られてきた荷物があった。
いつも要らない物ばかり送ってくるので迷惑していたが、この日ばかりは田舎の母に感謝した。
日よけの帽子と首に巻いたタオル。軍手と草刈鎌は、部屋にあったコンビニの袋に入れた。
田舎からの贈り物を装備した私は、どこから見ても草刈に精を出す、感心な青年に見えるだろう。
間違っても、これから仔猫を埋葬する人間には見えない筈である。
遂に決行の時は来た。集積所の前へ到着すると、変わらず仔猫はそこにあった。
軍手をしっかりと嵌め、用意した袋をそっと被せる。直接触れる勇気は、無かった。
袋と軍手越しに、仔猫の体に触れる。ぐっと力を入れ、地面から引き剥がす。
猫の形をした何かが、私の両手に収まった。それは硬く、嘘のように軽い。
吹き出した冷や汗をタオルで拭う余裕も無く、私の気は遠のいた。
急がなければ。腐敗が始まる前にケリを着けたい。
アパートの駐車場の一角を、草刈鎌で軽く刈り取る。これで作業し易くなった。
途中、駐車場にやってきた住民にヒヤリとしたが、「草刈ご苦労さまです」の一声で済んだ。
刹那、猫を包んだ袋が赤く染まる。流血かと慄いたが、出庫する車のブレーキランプが反射しただけであった。気を取り直し、作業を再開する。
鎌で土を砕き、手で掻き出す。深さ30センチ程の穴を掘り終え、袋に包んだ子猫をそっと穴の底へ安置した。何故死んだのだろう。苦しかっただろうか。そんな事を考えながら、土を載せる。
一番上に乾いた砂を掛け、周囲に馴染ませる。これで不自然には見えない筈だ。
最後に、私は両手を合わせて拝んだ。無事成仏できますように、と。
汗だくで部屋に戻った私は、真っ先に洗面台へ向かった。
「何やってるんだろうなぁ……本当に」
空虚感、達成感、悲哀。この何とも言えない気持ちを、一刻も早く洗い流したい。
その日の洗顔には、しばらく時間を要した。
***********
また、死んだのね。もう何かいめだったかしら。
きっと暑さのせいだわ。さいきん調子が悪かったし、もともと体も弱かったもの。嫌になっちゃうわ。
このヒト、わたしを埋めるつもり? さいきんの若いコにしては、しゅしょうな心がけね。
でも大丈夫かしら。表情がとても辛そうだけれど。あなたは立派よ、かんしゃするわ。
あら、このにおい、どこかで……
***********
【起床】
10月。猫を埋葬した駐車場が、売りに出される事になった。更地に戻し、家を建てるのだという。
私は別の駐車場を探しながら、猫をどうするか悩んでいた。掘り起こして場所を移すべきか……。
「遅かった!」
週末。会社から帰宅すると、駐車場は既に更地になった後だった。猫を埋めた辺りを探したが、何の痕跡も残っていない。私は、心の中で猫に詫びる事しか出来なかった。
翌日、地鎮祭が行われると聞いた。せめて弔いになればと見物人に混ざったが、どうにも様子がおかしい。整地されたばかりの地面には魔方陣が描かれ、用意された祭壇には用途の分らない器具が並んでいる。
女性ばかりが目立つ建築業者の先頭に、黒いローブ姿の人物が立っている。その風貌は司祭の様だが、今にもローブの裾を踏みそうだ。目深に被ったフードで相貌は拝めないが、どういった人物なのだろう。
司祭は壇上に立つと、一冊の本を開いた。そして何かの呪文を……いや、歌だ。少女の淡いソプラノは、がらんとした空き地に染み込んでゆく。美しいのに何故かもの哀しい。先程までの疑念も忘れ、私は彼女の鎮魂歌に聞き惚れていた。
地鎮祭の様な何かは終了し、各々が撤収してゆく。ふと、黒い司祭がこち
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