仕事帰りの電車を降りて、ボクは駅前のスーパーに向かった。
よくある中規模クラスの店舗だ。
お惣菜コーナーに到着すると、黒髪で小柄な店員さんがテキパキと半額シールを惣菜に貼り付けている真っ最中。
長めに切り揃えられた前髪の下から覗く、真剣な琥珀色の瞳が素敵だ。
彼女を視界の隅に捉えつつ夕食を選んでいると、いつもの『紳士』が現れた。
『紳士』というのはボクが勝手に付けた渾名。
70代くらいだろうか? 杖をついて、くたびれた黒いコートの襟を立てて
ハンチング帽を被り、伸ばしているのかよく分からない髭。
襟の間から覗く灰色の髪は、伸びるに任せている感じだ。
紳士は同じ格好で同じ時間に現れ、いつも同じ弁当を一つだけ購入し、
1人店内のフードコートでそれを食べる。
毎回同じ行動をする人物というのは記憶に残りやすい。ボクもかなりの頻度で会うので、覚えてしまった。
明日もまた、紳士は店に来るのだろうか。
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今日も私は、杖をついて駅前のスーパーに向かう。
理由は幾つかあるが、1つ目は安さだ。夕刻にいきなり弁当が半額になる店なぞ、この辺りでは珍しい。
それに、私がいつも買う弁当が必ず残っているという事。今までに買えなかった事は一度も無いのだ。
理由の2つ目は、レジで嫌な思いをせずに済むという事。自分で言うのも悲しいが、小汚い老人に対して世間は冷たい。
釣りを受け取るのすら時間を要する私に、今まで他店の店員から何度白い目を向けられただろうか。
そしてその憂いを晴らしてくれた人物こそ、私がスーパーに通う理由の3つ目。白角さんだ。
私が始めて駅前のスーパーを利用した日、レジを担当されていたのが白角さんであった。
あの日の事は、今でも鮮明に思い出せる。
カゴに弁当を入れレジへ向かった私が見たものは、銀髪の麗人であった。
長身に北欧人の様な美しい顔立ち、手入れされた長く銀色の御髪。その柔和な笑顔を向けられた私は、途端に気後れしてしまった。
こんな若く美しい人に迷惑は掛けられないと、別のレジへ向かうも他のレジには店員が誰も居ない!
つい先ほどまで居たレジ係の店員達が、ごっそりと居なくなっているのだ。
狐に摘まれた気持ちの中、私は覚悟を決めて銀髪の麗人が待つレジへと向かったのだった。
こんなに胸がドギマギするのはいつ以来だろうか。目が合わせられない。
ただ、その白魚の様な美しい手が作業を完遂するのを目で追っていた。
カゴに入れた弁当の値段が告げられる。私より遥か上から告げられるその声は、天の声と言っても差し支え無いのではないか。
ああ、この時が来た。紙幣をレジの支払台に置く。私は、麗人の表情が曇るのを恐れ、震える手を伸ばした。
手のひらに置かれる硬貨とレシートを取り零すまいと、必死で神経を手に集中させる。
私の手が、不意に暖かい物に包まれた。
そっと、包む様に添えられていたのは麗人の手。今まで触れた、どれよりも暖かなそれは、まるで私の身体まで暖めてくれる様で。
「 ありがとうございました。是非、またお来し下さい 」 そんな声でハッと我に返る。
私は添えられた手が離れてゆく喪失感と、自分の手に残る暖かさの幸福感を同時に処理できず、麗人の前を呆然と離れたのであった。
フードコートの前まで歩き、空いている席に腰を降ろす。
おもむろに弁当の蓋を外し、麗人が添えてくれた箸をとる。
美味い、と思う。
だが私は弁当の味よりも、”あの麗人と同じ空間で食事をしている”という事実に、久方振りの感動をおぼえていた。
それから私は、毎日スーパーへと通った。
銀髪の麗人・白角さんから弁当を買い、同じ空間で飲食をする。ただその繰り返しだけでも、私にとっては大切な逢瀬だった。
その日も、私は白角さんの待つレジへと向かい、紙幣を置く。
いつもと同じ様に白角さんは私の手を握って。
握って、離さない。顔を上げた私の視線と、見下ろす碧眼とがぶつかる。
「 お待ちしております 」 と一言、白角さんは私に告げた。
離された私の手には硬貨とレシート、そして折りたたまれた紙片。どういう事かと問う間もなく、彼女はレジを離れて行ってしまった。
フードコートの空席に腰掛け、紙片を開く。そこには、1時間後の時刻と待ち合わせ場所、2人でお酒でも、との文言が記されていた。
常識ある老人であれば、まず詐欺を疑うだろう。次に、女性の方から酒に誘うなど言語道断である、と。
だが私は、晴れやかな、迷いが消えた様な心持ちであった。
失う物が無い。ただ、彼女と。白角さんとの楽しいひと時に想いを馳せた。
まるで無鉄砲な若造の頃の様に。
2時間後、私は自宅の湯船に浸かっていた。
黒色と赤色のカビに支配されていた浴室は、数十年ぶりにかつての栄華を取り戻してい
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