林を抜けると、眼下に雪原を一望することができるほど開けた場所に出た。自分のたどってきた道筋が手に取るようにわかるが、転々と続く足跡は降り積もる雪に既に覆い隠されようとしている。
登っている山は村からはあまり離れていない場所にいちするも、今まで人が寄り付いたことはない。というのも、古くから魔物が住んでいるという話だったからだ。
しかし、実際にその姿を見たという話は聞かない。その事実だけを信じて俺はここまで登ってきた。その目的は一つ。
「ここか」
探し物を見つける。山の中腹、ちょうど林の外れにもやもやとした白いものを見つけた。ともすれば吹雪に紛れて見逃したかもしれない。しかし、白いもやは空から降るものではなく、地から登っていくものだった。
温泉、である。
この山に温泉が湧いているという話を聞いたのは数日前の村の酒場でだった。冒険者の身なりをした男が言うには、この雪山は火山だそうで温泉が湧いているかもしれない。そして、その男は山の中腹でそれらしい痕跡を見たという。
もしこの山が安全で、きちんと整備をすることができれば一大産業になるかもしれない、という言葉を男は残して村を去っていった。
その男は随分酒に酔っていたようだし、酔っぱらいの戯言と笑う事も出来たのだが俺はそうすることができなかった。その言葉は余りにも魅力的すぎた。
俺が今暮らしている村は決して豊かなものじゃない。冬になると農地は凍てつき、食糧生産は停止する。雪が溶けてもこの痩せた土地では大したものは作れない。辛うじて作れるじゃがいもが頼みの綱だ。後は、たまに来る観光客が落とす外貨をあてにするぐらいか。
そうしてこの凍えた村で俺は一生過ごして行くのかと思うと俺は耐えられない。村の人口は少なく、生きるには厳しい環境だ。俺には同い年の友人もいない。親も数年前までは生きていたが、やがて凍傷で手足を駄目にしてしまい、生きることはできなくなった。村には爺さん婆さんや、数少ない中年と子供だけ。働き盛りなのは俺だけのひどい村だ。かと言って村を去るという選択肢は俺にはなかった。
俺はこの村を、雪原を愛しているからだ。
一面に広がる雪原の白さ、海のように広がるその上に浮かぶ黄金の月。それらのなんと美しい事か。そしてそれらに囲まれて育った事を俺は悔やんだことはない。
貧しいが、この村はいい場所だ。だから、多くの人にそれを知ってもらいたいし、ここに住む人にはもう少しだけマシな暮らしをして欲しい。
それを何とかする手が温泉だというなら、それに賭けてみたかった。
足で雪を蹴散らし、進んでいくと山肌が少しだけくぼんだような場所があり、そこにはもうもうと湯気を立ち上らせる湖があった。
この雪の中で凍らずに豊かな水を湛えている。ちょうど今日は満月で、水面には月がもう一つ浮かんでいた。
手袋を外し、水中の月に手を伸ばす。暑い、だがこの雪山ではちょうどいいくらいの温度。石を入れてみると、すぐに動かなくなった。きちんと浸かれるほどに浅い。
完璧だった。手が凍りつかないように乾いた布で拭いて思案する。今日のような吹雪でなければ、雪山に慣れていなくても簡単に登れる距離。そしてこの広さ。恐らく十人は浸かれるだろう。俺にそういった学はないがきっと村の助けになってくれる。
問題は、本当に魔物がいないかどうか。後はこの温泉の浸かり心地か。
「試してみるか」
そう言って、俺は服を脱いで温泉に飛び込んだ。寒さで肌が悲鳴をあげたのも一瞬。飛び込んですぐにまるで火にあたっているような暖かさに包まれる。
「すげえ」
素晴らしい、の一言に尽きた。先ほどまで服の上からも凍えていた体が一瞬でほぐれていく。首から上は寒いには寒いが、適度に湯をかけてやれば問題ない。
何よりもこの温泉からの眺めだ。雪原を一望でき、空を遮るものは何もない。見上げれば、はらはらと白い結晶が舞うように降りてきて、水面まで落ちてきてふわりと溶ける。
俺が愛した雪原の景色そのものだった。
山肌に背を付けるように腰を落ち着ける。そのまま何も考えずにぼうっとしていた。
夜があけるまでこうしているつもりだった。ずっとこうしていたいという願望もあったが、それだけではない。
俺は魔物を待つつもりでいた。
魔物が住むとされる山、その真偽を確かめるには自分がその魔物にあってしまうのが手っ取り早い。聞けば魔物は男を好んで襲うという。冒険者は、魔物は人の命を取ったりはしない、と言っていたがそれはどうかわからない。
いずれにせよ、こうして裸で無防備に一日過ごせば魔物は絶対に襲ってくる。もしこなければ、俺の勝ち、だ。
そう考えて数十分、湯に浸かっていると不意に吹雪が激しくなってきた。ちょうど山陰にあたる温泉で直接吹雪が吹き込んでくる訳では
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