鎖絶つとき

            
作:つあらー(tjsnpi)
挿絵:我慢氏


 気味の悪い満月だった。
 普段見られるものより倍以上に大きく、何より赤く彩られている月が、夜の深い闇に閉ざされた深い森をあまねく照らしている。
 そんな月明かりの下。
 目の前で起きたことを、彼は信じることができなかった。
 「死神」の剣がたかだかと宙を舞い、華奢な体が吹き飛ばされ、土の上へ叩きつけられる。宙を舞った剣は、彼女が手を伸ばしても届かぬところへ放物線を描き、そのまま切っ先を地へ突き刺して静止するという光景を。
 「くっ、っああ…」
 <死神>が呻く。叩きつけられた全身が悲鳴を上げ、苦悶の声を漏らす。
 「この程度か」
 そんな彼女を見下ろしながら、異形は蔑むような言葉を浴びせた。
 「お前は強くない。まあ、これまでに戦った奴らに比べれば楽しめたがなぁ…」
 にたり、と唇の端をつり上げた笑みに、敗者への労いも、かつて騎士団で多くの部下から慕われた、豪傑な女隊長であったころの面影も、見ることは出来なかった。
 メルセ・ダスカロス。
 かつてこの「レスカティエ教国」の騎士団の一部隊の隊長を務め、並の男性兵士よりも勇ましく、その槍術は騎士団でも五本の指に入ると言われた、「隻眼の魔槍」と渾名された女戦士。しかし、かつて少し色の濃い、戦いの傷跡だらけだった日焼けした肌は、人間ではあり得ないくらい青白く、傷一つない吸い付くようなきめ細やかなものに。透き通る碧の瞳は、この夜空に鎮座する大きな月のように紅く。そして何より、多くの戦場を駆け抜けた足は無く、くびれた腰の下は、漆黒の鱗に包まれた、巨大な蛇へと変わり果てていた。
 彼女は人間ではなくなっていた。ひどく痛むのか呻きながらそれでも身を起こそうとする<死神>が所属し、またこの異形がかつて人間であった頃に所属していた騎士団が滅ぼすべき敵──魔物に成り果てていた。ヒトの上半身と蛇の下半身を持つ「エキドナ」に変貌したメルセは、レスカティエを奪還すべく送り込まれた教会騎士団本隊を逃がすための「捨て駒」として送り込まれたある部隊の情報を掴むと、一計を案じ、それが見事に成功した結果が今この時なのであった。
 ──ヴェアヴォルフの指揮官の右腕、参謀の男を捕らえろ。そうすれば必ず、アイツはやってくる。
 命じられた部下の魔物(彼女たちもかつて同じ騎士団の兵士だった)は、魔物の軍勢相手に必死の戦闘を繰り広げながら、撤退を成功させつつあった部隊から目標である、青年と呼ばれるにはやや年を経た参謀を捕らえてその場を離脱。メルセの言葉通り、<死神>はたった1人で、男を助け出すべく駆けつけた。
 魔力の鎖で縛られ、舌を噛んで自害しないよう轡を噛まされている参謀を見た<死神>は、「私を屈服させれば男は返してやる」というメルセの言葉を最後まで聞かずに一気に間合いまで踏み込みその首を掻き切ろうとしてあっさり防がれたのを合図に、人智を超えた戦闘を繰り広げ、そして──
 「所詮、その程度か?なあ<死神>こと懲罰大隊ヴェアヴォルフ指揮官、ウィルヘルミナ・シェーネルト!」
 懲罰大隊<ヴェアヴォルフ>。騎士団で問題を起こした者、罪を犯したもの、疎まれたもの、あるいは邪魔になったもの。そんな騎士や兵士や、教団の敵である魔王を打ち倒す力を秘めている「勇者」の素質を持った者が強制的に放り込まれる部隊。危険度が高い、あるいは教会や騎士団が堂々と関与できないような汚れ仕事を行い、必要とあればあっさりと「使い捨てられる」部隊。華やかで勇壮な騎士団を「光」とすれば、それはまさしく「影」。
 その「影」は、教団や他国の兵士達の間でも「恐るべき部隊」「毒を制すための毒」として知られている。ヴェアヴォルフという名の通り、恐ろしい獣に堕ちた武人の成れの果てとして恐れられている彼らの指揮官。騎士団の「影」を遍く体現するかのような、部隊のトレードマークである黒い制服はあちこち裂け、破れ、白い肌がところどころ見え隠れしている。それでも彼女は、力が入らない自身の肉体を奮い立たせて何とか立ち上がり、「ほう…?」と一層不敵な笑みを浮かべるかつての同僚であり、ライバルでもあったメルセを、それだけで射殺せそうな憎悪と殺意だけの金の瞳で睨みつける。
 <死神>──ヴェアヴォルフの指揮官にして最強の戦力、ウィルヘルミナ・シェーネルト。土埃にまみれながらなお夜に浮かび上がるような美しい銀髪をうなじのあたりで一房にまとめた三つ編みは腰のまで伸びる。ヴェアヴォルフに送り込まれる前、騎士団で剣を振るっていた時は貴族や王家筋からもいくつも縁談が持ち掛けられていた気の強く端正な美貌は、数々の悲劇と惨劇と苦痛に晒され続けた結果冷酷一色に塗りつぶされ、さらに今は憎むべき敵に成り果てたかつての知り合いに対
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