墓守・3

月明かりが射しこむ森は初めてかもしれない。夜に森に出る事なんて仕事ぐらいしかないし、それも新月だから松明が必需品だった。でも、満月は思った以上に明るくて、葉の間から見える星空が綺麗だった。
「…」
綺麗だけど、そう言えば一人だけで夜に出歩くのは初めてだった。子供のころは父さんと母さんが、二人が死んでからはあのゴーレムがいつも僕の前を歩いていた。
父さんと母さんの遺したゴーレムは、仕事以外では動かなかった。仕事しかしなかった筈だった。

今思えば初めて誤動作し始めたのは、ウロさんが死んだ日だった。ウロさんを湖に浮かべ、僕の涙を拭った。いつの間にか腕や足の命令が消えかけていた事もあったし、メンテナンス中も調子がおかしかったりして、ずっと調子が悪かった………いや、どちらかと言えば、僕に対して何かしていた。昨日だって、結局なにも思いつかなかったけど、机で物資の依頼の紙を書いていた筈だ。自分からベッドに行った覚えは無い。服も寝間着では無く普段着のままだった。
前に読んだ、ある男の家に雨宿りさせて貰ったお礼と言ってそこに住み込み、見事な陶器を作って富をもたらしていた女が、実は昔に頭に積もった雪を払って自分の被っていた帽子を被せてやった道端のゴーレムで、ずっと自分の身を削って陶器を作っていたと言う本があった。
当時はそんなことあるか、と思っていたけど、ゴーレムが勝手に動き出すのは、今現在身を持って体験しているし、実際にゴーレムが主に好意を抱いた例があるらしい。………僕は仕事以外ではほったらかしにいていたが、もしかして、ウロさんの代わりをしようとしていたのだろうか。
ああ、だめだ。ウロさんを思い出してしまう。ちがう、ウロさんを思い出さなかった日なんて無かった。忘れていた『楽しい』と言う感情も、いつの間にか消えていた『寂しい』という感情も、もう忘れる事も消える事も無いだろう。
視界がぼやける。すかさず袖を当てて水気を取る。涙は零れていない。泣いてない。
ウロさんに話したい事は沢山あった。伝えたい事も沢山あった。聞いて欲しい事も、答えて欲しい事も湖の水ほどある。溜まるだけで流れる場所は無いけれど。






――
―――



あたしは、真っ暗な中をただ彷徨っているだけだった。
死んじゃったあたしは何も出来なくて、じっとしているだけだった。彷徨っていると言ったけれど、本当に彷徨っているのかも分からない。何も感じない。そんな状況の中に居た。
ある時、自分とは違う何かを見つけた。何かはだんだん大きくなって、あたしを飲み込んだ。飲み込まれた時、飲み込まれたと感じた。何かを感じるのは久しぶりだった。
それから、徐々に身体の感覚が戻って来た。
最初は頭で、それからは肩とか腕とか足とか股とか、大きい範囲で戻って来て、それから細かく首とか背中とか胸とかが戻って来た。
暫くして、あたしの身体は殆どが戻って来た。細かい所は幾つか戻っては来なかったけど、埋めるように、何かがそこに馴染んで行った。
その何かは、あたしを飲み込んだ何かと同じもので、抱きしめるように暖かくて、でも身を焦がすように熱かった。そして、すこしだけ寂しそうに冷たかった。
でも、その感覚は、もう終わる。あたしは起きなくてはいけない。あたしは目を覚まして、今度は彼女が眠る番だ。彼女の抱いた想いを一身に受けて、今、目を開ける。

でも、もう少しだけ、寝るのは待ってくれないかな。もう、すぐそこだから。



―――
――








―ぴしっ


「…」
ゴーレムは、僕に背を向けて、地底湖のほとりに立っていた。松明一本ではそれほど明るくならず、動かないゴーレムに近付いて行った。
そして、ゴーレムの異変に気付いた。

―ぴしっ

「…」
ゴーレムから、嫌な音がする。何かが渇いて行く様な、崩れて行く様な音だ。
「…」
ゴーレムに、ヒビが入っている。

―ぴしっ、ぴしっ

ヒビは段々増え、大きくなって行く。表面の土が剥がれ落ち、地面へ到達する前に砂となり、ゴーレムの足元に降り積もってゆく。
ゴーレムが、死んでゆく。
「…」
僕がゴーレムに近付くと、ゴーレムが振りかえった。身体が更に崩れた。
ガラスの眼球で僕を見つめた。欠けた瞼で目を細めた。裂けた口角を少し上げた。整った無機質な顔を崩しながら、暖かく笑った。
「…」
死んでゆくぼろぼろの身体で、父さんと母さんと同じ様に笑った。



『おとうさんも、おかあさんもしんじゃった』
『…』
『…ぐすっ』
『…』
『うん。…そうだね。いつまでもないてちゃだめだね』
『…』
『そうぎ、しないとね』
『…』
『…?なぁに?』
『…』
『これ?…これをかくの?』
『…』
『うん!わかった!』
『…』
『そうだ!えーと、あなたのおなまえは?』
『…』
『これ?…………
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