「負けます。」
ハインケルの放ったその一言に、大聖堂奥に存在する円卓の間は騒然となった。
ヴァルハリア教会の大司教以下高位聖職者は、勇者と信じる者から放たれた絶望的な言葉に恐れおののき、身体を打ち震わせて嘆き悲しんだ。
フウム王国国王フィリップは一人憤然とした様子で動じていなかったものの、やはり王国諸侯も同様の反応を見せていた。
どれだけ動揺が激しかったのか、それは後世に残る軍議の議事録を筆記する書記官たちの文字の乱れ方、思わずペンを握ったまま立ち上がったであろうインクの汚れから、それは想像に難くない。
そんな人々の動揺を尻目に、ハインケルは内心、クスリと笑って言葉を繋いだ。
「このままでは負ける、と言っているのです。これから皆様方に申し上げるべきこと、まず第一に教会領で流通する貨幣価値があまりに低く、兵糧を商人たちから買っていたのでは軍を維持することは非常に困難。」
もちろん、それも彼の行った策の一つ。
商人たちと結び付き、低い貨幣価値にも関わらず食料の価格を釣り上げ、教会の財産、軍資金をすっかり使わせてしまい、その上で他国に出回るものよりも二等級も粗悪な品を売り付けさせたのである。
もちろん、表立って彼が動いた訳ではなく、彼の意のままに動く魔王軍特殊部隊の腹心が、ハインケルの指示でそれを代行したのであった。
「そ、それでは…、兵卒として参戦させた領民をまた農業に従事させて…。」
「それは出来ません。やっと彼らは兵士らしくなってきた。今彼らを農地に帰せば、来たるべき戦争の際、どれ程の数が兵として戻ってくるか…。おそらく半分にも満たないでしょうな。里心が付かないとも限らない。それに農業に従事させたとして、収穫してから兵士を養える程の備蓄を作るのに…、恐れながら教会領の農業技術では最低5年はかかりましょう。」
兵士らしくなった、というのは嘘である。
もっとも形の上ではそれらしくなった。
揃いの鎧と剣や槍を身に付け、それなりの扱いは身に付けた。
だが、士気は低いのである。
聖騎士として教会に祭り上げられたヴァル=フレイヤが魔物と心を通わしたという噂や、フウム王国がクゥジュロ草原で大敗を喫し、生き残った者たちが口々に草原で戦ったケンタウロスの見事さと如何にして敗れたのかを語ったために、その話に尾ひれが付いて領民たちに伝わったからである。
元々閉鎖された世界の人々であったことと、ハインケルにとっては想定外の出来事であったが、ダオラが復讐のために暴れた恐怖が彼らの精神に想像以上の傷を残し、彼らの戦意を今一つ上がらないところで留めていた。
「第二に……、これはフィリップ王、あなたに原因があります。」
「私に…、原因だと!!」
先の戦闘で寵愛した次男を失ったフィリップは声を荒げた。
ハインケルは彼の剣幕など眼中にないように言葉を続ける。
「後継者であると目下期待されていたカール王子を亡くされて悲嘆に暮れている場合ではありません。彼の亡き今、あなたにもしものことがあったら、誰が王国を継ぐのですか?順当に行けば御長男のジャン王子でしょうが、あなたとは反目し合う仲。はっきり申し上げれば、そう言った意味ではフウム王国は不安要素でしかないのですよ。我々の背後からあなたを攻め滅ぼそうとフウム王国残留軍が迫ってくる。前からは神敵たちが魔物の群れが迫り来る。挟み撃ちを彼らが提案し合ったら……。後はわかりますよね。」
フィリップ王は顔を強張らせた。
彼も考えなかったことではない。
長男、ジャン王子は親魔物という程の主義ではないが、それでも王国の安寧を考えれば魔物を滅ぼし、教会に擦り寄る今の王の政策よりも、もっと柔軟に彼らの不満を一つ一つ取り除いて、親魔とまで行かずともせめて共存という道を選んだ方が、進んだ技術のある親魔物国家とも、より深く交流が出来ると考えていたのだが、フィリップ王はそれに真っ向から対立していた。
発展よりも信仰を、それがフィリップの主義である。
フィリップは苦々しい顔をした。
だが、ハインケルはおそらく彼が取るであろう行動を予測済みだったので、彼に構わず話を続けた。
「最後に、同胞である国家が何故動かないのか。答えは簡単です。ヴァルハリア教会の影響力が弱まった、それだけです。ですが、影響力が弱まったということは我々の敵になる可能性が高い、ということです。」
事実は違う。
ハインケルの言う通りヴァルハリア教会が教義の中心になって、300年という時間を歴史に刻んできたため、周辺の反魔物国家もその歴史に名を刻んだ頃程の情熱的な信仰ではないものの、ヴァルハリアにはそれなりの敬意を以って接して来たのだが、今回の戦争は事情が違う。
いかに反魔物の立場を取っているとはいえ、今回の戦争は些細な諍いが原因であり、軍を動かしたフウム王国にも、その勅命を出したヴ
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