第六十四話・二つの物語

ハインケル=ゼファー。
その名が歴史に登場するのは決まって反魔物勢力下で記された歴史書の中である。
勇者、信仰の最後の砦、真に神に愛されし者など数々の二つ名を持つ彼ではあるが、実はその出自は本人が生前からはぐらかし、死後50年経った昨今においても彼の本来所属する魔王軍の仲間ですらよく知らず、あまり明らかではない。
しかも反魔物勢力下で記された歴史書は今一つ彼の功績を正確に知りえなかった。
ドラゴンを追い払った、道行く旅人を襲っていたゴブリンを討伐した…などの事項が大々的に、誇張表現華々しく、勇者が神の威光で敵を討つ様を描いた仰々しい挿絵と美しい詩文と共に記載され、我々研究者としてもどれだけ真実がその中に入っているかなど検討が付かず、わざわざ史跡に足を運んで、地元民の証言を聞きに行かねばならない程である。
歴史研究者泣かせ、という死後に不名誉な二つ名が追加されることのなったハインケルであるが、魔王や軍幹部の公式文書を保管している魔王軍文書保存室、通称・未整理の山と呼ばれる部屋からついに信憑性の高い資料を手に入れることとなった。
もっとも未整理の山などと不名誉な通称が付く部屋であったため、その文書の数は膨大で資料のすべてを整理するのに、研究者たちは十年の歳月をかけなければならず、気が付けば一つの結論に至るまでにハインケル=ゼファーが自らの人生を全うしてから半世紀にもなっていた。
我々は、これはもしや、彼の残した人生最後の罠なのではなかろうか…、これを発表することで、実はその資料も真っ赤な偽物だと我々を嘲笑っているのではないか…、と疑念を払えぬまま、ここに彼の歩んだであろう道を記す。
この書を読む貴君にも、まずそのことを申し上げておきたい。

魔王軍文書保存室研究員、フリードリヒ=ボルド









出自不明の勇者は如何にして勇者に成り得たのか。
ハインケル=ゼファーはその歴史に名を最初に記されたのは、彼が13歳の時に勃発した反魔物領、ランチ公国で起こった『クリーチの動乱』と呼ばれる一斉蜂起であった。
すでにランチ公国は滅亡し、別の王国がその領地を侵攻、接収したのであるが、彼らの歴史書によれば、魔物たちがついに長年の計画を実行しようと武装蜂起したことになっている。
しかし、事実は搾取、無差別な殲滅、重税に重労働など抑圧され続けた魔物や魔物を愛した者たちが、その不条理な抑圧から逃れるために農具や粗末な武器を手に取り、自由を勝ち取るために一斉に立ち上がった、というのが客観的な歴史観を持つ者の共通する見解である。
公国所属騎士団は歴戦の兵たちであったが、その武装蜂起の規模は一部辺境に留まらず、公国全土にその波が広がって、徐々に追い詰められた彼らは全滅を覚悟せねばならなかった。
そこにふらりと、少年が領主以下将兵の立て篭もる要塞に現れた。
教会のシンボルの紋章が描かれたボロボロの緋色のマントを纏った少年は、腰に見たこともないような美しい剣を携えて、領主や将兵にうやうやしく作法に則った礼した。
ハインケルは、人生の終盤にこう残している。
「何故、そんなわかりやすい格好で来たかって?考えればわかるだろう。そういう危機的な状況にあるやつは、そういうわかりやすい格好で、いかにも救世主が来たっていうのを視覚で訴えられると、コロッっと行っちまうんだ。お前も覚えておけ。人間も魔物も危機的で死に体なやつ程、騙しやすい。」
その美しい剣というのが、彼の終生の愛剣、聖剣シンカであったのだが、これもまたいつ入手したのか、どこで手に入れたのかも歴史の闇の中である。
彼は領主に訴えた。
自分にこの状況を挽回出来る良い策がある。
そう言うと彼らは喜び、ハインケルの言を一つ一つ忠実に聞いた。
何より、迫り来る反乱軍を目の覚めるような策で打ち破り、自らも剣を振るい公国の兵士を鼓舞する姿に彼らは誰もが感動を覚え、勇気を振り絞ってハインケルに付き従った。
反乱はハインケルが公国入りして二週間あまりで完全に鎮圧された。
魔物が公国内部からいなくなり、教会の秩序と反魔物の象徴としてハインケルは讃えられ、これによりハインケルはあらゆる困難から人々を守る教会勇者としての名声を高め、その頭脳と武技で人々を神の国成就へと導く者とヴァルハリア教会から最高の栄誉を与えられることになる。
しかし、後の研究で、その動乱には裏があったことが判明している。
まず、この動乱を裏で操っていたのは、他の誰でもないハインケル=ゼファー本人であった。
元々一斉蜂起すれば、数で勝り、肉体ポテンシャルでも勝っていた魔物たちが負けるはずがなかったのである。
彼は魔物、親魔物の者たちの鬱屈とした感情、外敵に怯えながら生きるかの者たちの心の奥底に眠る誇り、何かのきっかけがあれば一致団結した一斉蜂起になるであろうと
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