第六十話・Bad Communication BeforeB

「……沢木、主命だ。大人しく投降してくれ。そうすれば紅家が全力を挙げてお前を…、綾乃を助ける!そうでなければ…、俺は……、俺は…。」
そう言って、龍雅は頬面の下で涙を流し、言葉を詰まらせた。
この先を言えば後戻りは出来ない。
だが、主命に背けば、何のために狼牙を見放したのかと、少年は葛藤する。
狼牙は穏やかな表情のまま、緩やかな速度で馬の足を龍雅へ向けた。
突き出したままの薙刀が細かく震えていた。
狼牙はその薙刀の柄に手を掛けると、ゆっくりと下ろさせた。
「ベニロク、慣れないことはするもんじゃない。お前が追手になった、ということは紅家は沢木の家から離反した。いや、違うな……、紅家は沢木の血を残すことを選んだということだな?」
龍雅は頷いた。
すすり泣く声だけが、頬面で隠れた顔の向こう側から響く。
「伯父御らしい冷静な判断だ。あの人は戦は下手だが、生き残るためのしたたかな処世術は素晴らしい。なぁ、ベニロク……。俺は、間違っていたのか……。俺は俺の信じる道だけを突き進んできた。振り返らず、省みず、ただ目の前の敵を屠り、蹴散らし、血飛沫の彼方に戦のない太平の世があると信じてきた。なのに俺ときたら、現実はどうだ…。味方に裏切られ、味方を犠牲に生き汚く生き残って、戦のない世の中を作りたいがために村を滅ぼし、子供を殺し……。俺は、どこで間違ってしまったんだろうな…。」
龍雅は何も答えない。
その沈黙に狼牙は答えを見出した。
「……そっか。最初から間違えていた、という訳なんだな。そうだよな、あの女狐の言う通りだ。俺は急ぎすぎたんだな…。本当は綾乃が欲しくて、綾乃に相応しい男になりたくて、お前みたいに回り道をしなければ良かったんだな。俺は一人の女を手に入れる前に、英雄になることを望んだ…。その差が、俺とお前の埋められない差、ということなんだな…。」
「沢木……!」
「……俺は生き残った連中を連れて海を征く。どこか知らぬ土地で初めからすべてをやり直す。お前は、お前の役目を果たせ。押し付けるようで悪いが、親父や弟たちを頼んだぞ。」
「沢木、もう遅いんだよ…。親父さんもみんな……、死んだんだ!」
龍雅と擦れ違い、お堂に向かう馬上の狼牙の息が止まる。
風が、ざぁ、と木々を揺らした。
龍雅の悲鳴にも似たその声が、まるで鋭く響くようにその場に余韻を残した。
「…………死んだんだよ、沢木。村瀬さんも……、佐久間さんも篠崎さんも誰も彼もが死んだんだよ!俺は唯一生き残った丸蝶の人間として、みんなの首実験をする羽目になった。間違い、なかった…。間違いなくみんなの首だった…。」
「………………………龍雅、それはお前の目が間違っているんだ。佐久間も篠崎も俺を逃がそうとしてくれた。どこかではぐれてしまったが、きっとあいつらはしぶとく生きている。村瀬にしてもそうだ。あの豪傑が、早々死んでたまるかよ。あの程度の囲みなど、あいつにかかれば造作もない。」
龍雅が首を振る。
狼牙は認めたくなくて、何度も間違いだと言うが、龍雅は何度でも首を振った。
「ベニロク!」
「沢木、認めようよ……!夢は終わったんだ…。丸蝶は、もう俺とお前、それと綾乃だけなんだ…!頼むよ…、生きてくれよ…。俺は、お前まで……、憧れた人を、これ以上失いたくないんだ……。」
狼牙は天を仰ぎ、吼えた。
口惜しさと、腹立たしさと、無力さを、自らの身体から追い出したかった男の悲しい咆哮。
「親父さんや、沢木の兄弟も死んだ…。俺が呼び出された時、すでにみんな首だけになっていたんだ。守護は、自分の地位を脅かすお前を、丸蝶の人間を許さない。家老様が諌めなければお前を慕った領民ですら、征伐しようとしていたくらいに、あいつの心は荒んでいる…。」
「………………それなら、俺はどう足掻いたって生き延びれないな。」
狼牙は悟っていた。
自分の見る夢はこれで終わりであると。
「…沢木、俺の家の奥座敷は座敷牢になっているんだ。そこで綾乃と二人、匿っておくぐらい…。」
「……ベニロク、そこまでだ。俺も綾乃も首輪を繋がれてでも生き延びる程、命を重く見ていない。お前はお前の使命に従った。それで良いじゃないか…。俺は、自分の犯した罪を抱いて死ぬのは怖くない。むしろ当然だ。村瀬も、佐久間も篠崎も、親父も弟たちも、ガキたちの未来も、俺の愚かしさが死に追いやった…。お前は、そんな俺を成敗しに来た。それで、良いじゃないか。」
狼牙の顔付きが変わる。
龍雅はその顔を見て、ハッとした。
お堂へと向いた足は龍雅へ向け、狼牙の変化に合わせるように馬もまるで力を溜めるように踏ん張り、狼牙は大薙刀を大上段に仰々しく構えていた。
龍雅にとって、それは久しく見ていない狼牙のもっとも迷いのない情熱に溢れていた、彼の憧れた自分の正義を信じて戦い始めた頃の男の姿だった。

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