第五十九話・Bad Communication Before A

顔に生気はなかった。
戦場を華やかに駆けた男と同一人物とは思えない程、狼牙の顔に力はなかった。
ただ馬に跨り、馬に任せて進むだけ。
全身の返り血は、彼の涙を覆い隠している。

狼牙は仲間を見捨てた。
彼を逃がそうとした仲間たちの想いとは裏腹に、狼牙は自分を責め続けた。
自分がもっと強ければ…。
自分が彼らの親だったのに、と。
狼牙は差し向けられた守護の兵に果敢に立ち向かった。
大薙刀で振り払い、いくつもの首を刎ねた。
しかし、狼牙が如何に強くともいくら斬っても数の減らない戦いに、やがて疲れが見え始める。
勝ち目がまったくない戦いに、丸蝶党の彼らは狼牙を逃がすためにその身体を張って、迫る守護の差し向けた兵を食い止めた。
「佐久間、篠崎!カシラを連れて行け!!!」
「村瀬ェェ!!!」
佐久間、篠崎と呼ばれた男たちは、吼える狼牙を羽交い絞めに拘束し、村瀬団十郎の命に従うと、そのまま全速力で戦場を離れていく。
「離せ、お前ら!お頭の命令だ、今すぐ俺を離して戻るんだ!!」
二人の男たちは歯を食い縛り、涙を堪えて走り続ける。
狼牙の言葉に返事をすることもなく、振り返ることもなく走り続ける。
狼牙は必死に踏み止まろうと踏ん張るが、すでに彼の身体は疲れ切っていた。
踏ん張っても彼の意志通りの力を身体に伝えていかない。
村瀬が狼牙を微笑んで見送った。
狼牙の目に、彼の後ろで倒れていく仲間たちが映る。
村瀬が太刀を抜き、迫り来る兵を斬り捨てる。
だが、それで終わりだった。
槍が一本、二本と村瀬の身体を貫いた。
「村瀬ェェェェーッ!!!!」
村瀬が力なく膝を突く。
次々と槍が村瀬を突き立てる光景に狼牙は涙した。
「離せ、離せ、お前ら!仲間を……、助けるんだ!!」
「駄目です…!今戻ったら村瀬さんの死が無駄になる!!」
「死んじゃいない!まだ村瀬は生きている!!助けに行けば間に合うかもしれないだろ!!」
狼牙がいくら喚いても、彼らは止まらない。
遠くなる狼牙の姿を見て、村瀬は呟いた。
「カシラ、泣くなよ。あんたさえ生きていれば、丸蝶の旗は何度でも揚げられる。あんたさえ生きてくれたなら丸蝶の魂、俺たちの魂はあんたの胸に、丸蝶の旗に集う者たちの胸の奥で、何度だって甦る…。だから逃げてくれ。逃げて、生き延びてくれよな。」
村瀬の首が刎ねられる。
その最後の言葉は狼牙には届かない。
誰の耳にも届かない独り言。


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…………………………。
………………………。
……………………。
…………………。
ロウガが口を閉ざし、懐から煙草を取り出して口に咥えた。
火を付けようとした瞬間に、アスティアにマッチを持った手を押さえられた。
アスティアは静かに首を振る。
それを見たロウガも諦めるように笑って咥えたばかりの煙草を地面に落とした。
「……話し辛い、ことがあったんだな。」
「…少しだけ。思い出すのがつらくて、悲しくて、あの日の俺も今の俺も如何に脆弱なのかを再認識せざるを得んからな。」
空に向かって溜息を吐くロウガ。
傍で見ていたアヌビスは困惑していた。
いつも見ていた大きな背中が、やけに小さく、彼の年齢に相応しい程に疲れて見えた。
アヌビスはそんなロウガの手をしっかりと握る。
自分たちがここにいる、ロウガは一人じゃない、と言うように暖かいその手で強く握った。
「すまん、お前にも心配をかけたようだな。」
まるで自分の娘の頭を撫でるようにロウガはやさしくアヌビスの頭を撫でる。
アヌビスはその気遣いは無用と言わんばかりに頭を振る。
「心配は…、していません。アスティアさんと同じように私はロウガさんの心配はしていません。でも……、少しだけ……。少しだけ私は怖いんです。ロウガさんが、どこかに消えてしまいそうで……。」
アヌビスの言葉にロウガは意外そうな顔をした。
「消えて……、しまいそう…か。あながち間違いでもないかもしれんぞ。あの日の俺もあいつらの前から突然姿を消した。サクラには散々説教垂れたクセに、俺は俺が出来なかったことをあいつに押し付けてるだけにすぎない。」
アスティアがロウガに寄り添う。
彼女の目にはその言葉が意外だという色はない。
「…………お前は、そうじゃなかったんだな。」
「まぁね、少なくとも私はネフィーよりもロウガとは付き合いは長いし。何となく思っていたよ。でもこれでハッキリした。ロウガはサクラをただ鍛えて、マイアに吊り合う男にしたかったんじゃなく、サクラに君と同じ轍を踏ませたくなかったんだね。」
もう一度、ロウガは諦めに近い溜息を吐く。
自分の記憶を、思いを少しずつ吐き出し、ロウガは苦笑いを浮かべる。
「30年以上も前の記憶も、語ってしまえば数十分。長いこと心を占めていた女も思い出してしまえば一瞬。人の世は
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