第四十二話・唯、己が内に従いて

勝負は一瞬だった。
でもその一瞬は私にとって、これまでの人生で最も価値ある一瞬だった。




礼拝堂の祭壇へと続く赤い絨毯の上を二人は疾る。
フレイヤは左手の盾を前に突き出し、
マイアは太刀を右肩に担ぐように構え距離を詰める。
一歩、かつてアスティアによって破壊され新しく張り替えられた床板が軋む。
二歩、誰も知らない記憶を辿るように風が吹く。
三歩、フレイヤの盾がマイアの視界を阻害し始める。
四歩、太刀を振り被るマイアが力を込める。
五歩、互いの間合いに侵略する。
フレイヤのショートソードが盾の陰からマイアの喉を狙う。
次の攻撃など考えない、全体重を右腕にかけんばかりに、前のめりになりながらの突き。
「ッ!!」
その突きをマイアは恐れず、左に身体の軸をずらしつつ、さらに前へ踏み込む。
紙一重で刃を通過させるが、幅の広いフレイヤの剣が首の皮膚を斬る。
だが、致命傷には程遠い。
「やぁぁぁぁぁ!!!!」
伸び切ったフレイヤの右腕に太刀の刃を当て、さらにマイアは前へ踏み込む。
人外の力で、父から受け継いだ技で、母から受け継いだ戦う者としての誇りが、床板を踏み割り、一陣の風のように駆け抜け、擦れ違い様に刃を引き斬る。


ドンッ


礼拝堂に響く音。
ショートソードを握ったままの右腕が斬られ、礼拝堂のどこかに落ちた。
互いに駆け抜け、背中合わせで互いの気配を探り合う二人。
フレイヤは肘から下を失った右腕を見詰めていた。
程なくして言いようのない激痛とそれを視覚的に認識させるように噴水のように血液が溢れる。
「…私の、負け…、か…。」
フレイヤは自分の髪を結んでいた紐を外す。
「すまないが…、止血をしたい…。手伝ってくれないか…?」
太刀を一振りして、マイアは血を落とす。
そしてマントの裾で血糊を拭き取ると、やっとフレイヤに振り向いた。
「…わかりました。」
一瞬の交差、一瞬の煌き。
そしてフレイヤは二度と戻らない充実した時を、たった一瞬ではあったが、彼女の最後の瞬間まで誇りとしたのである。


――――――――――――


父上の言った通りだ。
決闘に、誇りとするものなど何もないと…。
残ったのは重く沈むような気持ちだけ…。
今まで斬った人々とはまったく違った感触を残して、私は彼女の腕を斬り落とした。
彼女の髪を縛っていた紐で彼女の傷口付近をきつく結び、そして手持ちの治療道具で気休め程度にガーゼと包帯を当てる。おそらく、すぐに真っ赤に汚れてしまうだろう。
「…ありがとう、不思議な気持ちだ。これ程までに…、魔物を憎んでいたのにな…。私は憎むべき存在に助けられ、その心の真意もわからなくなってきている。神に…、心を委ねていた時は…、間違いなく至福の時だった。だが…、私は神の使途であることを辞めてしまった。あくまで人間として君と戦ってしまった…。」
「それで…、良いのではないですか?私はリザードマンですが、私とて何かに縋りたい、何かに身を委ねたいと思ったことがあります。それでも前に進みたければ、何かではなく…、誰もが自分の足で歩かねばなりません。私たちは結局…、人間も魔物も変わらないのです…。傷付くのが怖いから…、悲しみから逃げたいから…、色んな理由で色んなものに身を委ねようとする弱い存在でしか…、ない……。」
「…そうか。いや、そうなのだな…。私はあまりに長く自分から逃げていたようだな。君と君の父君に、もっと早く出会っていたら…。私の人生ももっと変わっていたのかもしれないな…。」
「フレイヤ…。」
「…私は行かねばならない。指揮官として、私のけじめとして、まだ部下たちがあそこで戦っているのだから。手当て、感謝する。」
フレイヤが立ち上がる。
「父君はこの奥の地下牢だ。もはや私に止めることなど出来ぬから行くが良い。私は彼らが戦うあそこへ行かねばならない。一人でも多く、生きて祖国に帰してやらねばならないのだ…。それが指揮官として、私の最後の務めだ。」
フレイヤは窓の外の赤い影に目を向ける。
彼女は命の最後の輝きを、生き残るためではなく彼らのために使うのだ。
私には止められない。
彼女を止めるということは決意を穢すことになる。
重い教会の扉を開き、私たちは教会の外の馬小屋に出る。
片手ではうまく馬に乗れない彼女の補助をして、途中寄った武器倉庫でフレイヤが選んだショートスピアを渡した。
「重ね重ね感謝する。では、ここでおさらばだ。」
「おさらばです…。いつか魂の還る地平で…、またお会いしましょう…。」
フレイヤは少し意外そうな顔をして、初めて見せる笑顔で答えてくれた。
「ああ、いつか魂の地平で。その時は存分に語り、友好を温めよう!」
馬の腹を蹴り、フレイヤは馬を走らせる。
気が付けば…、彼女を見送り涙する私がいる。
「…私というやつは、初めて人を
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