愛する者、心に決めた者と人生を共に歩めたら、どんなに幸せだっただろう。皮肉な話、この場所はかつては恋人たちが夫婦となり、愛を誓い、幸せを身近に感じていたであろう場所。今は忘れられ、朽ちていく、無人の教会。恋人たちの儚い夢の亡骸。
人の一生にもしもはない。
それでも思わずにはいられない。
もしあの日、村が襲われなければ…。
もしあの日、あんな辱めを受けなければ…。
もしあの日、私を埋葬しなければ…。
私は剣を取って戦う道を選んだだろうか…。
私はリザードマンだ。
だからいつかは大なり小なりの理由で剣を取ったと思う。それでも自分より少しだけ強い相手を見付けて…、その男と幸せで穏やかな日々の中に帰っていっただろう。
私はそれを選べなかった。
今でも夢に見る。
あれは悪い夢で、本当は村は平穏そのものの日々を続け、大好きだった人たちと修行に明け暮れ汗を流し、そしてたまたま村に立ち寄ったあの人もそんな私たちと意気投合して、居候のように居付いて、いつか私を軽くあしらうように勝ち、二人で小さな教会で愛を誓う。
そんな都合のいい夢。
届かない私の夢。
私は…、本当は死んでしまいたかった。
あの日、死んでいった人たちと一緒に死ねたのならどれだけ心が楽だったか。でも死ねなかった。私の残された左目がロウガの大きな背中に守られてしまったから。わずかに残した人間らしい感覚が、ロウガにやさしく抱きしめられた温もりを知ってしまったから。
せめて、死ぬのなら彼に笑われない剣士になって死のう。いつか風の便りで、彼が私が死んだことを惜しんでくれるような剣士になってから死のう。そう誓い続けて、剣を取って戦い続けた。
そして幼馴染のルゥを騙して、婿探しと称した私の死神探し。5人とも私の命に届く腕前ではなかった。言ってみれば私の酔狂に付き合わせたのだから、彼らは怪我一つなく無事に帰した。だが6人目は駄目だった。無事に帰すことなど出来なかった。
床に突き刺した大剣に今も血の跡が残っている。
6人目だけではない。私の首にかけられた莫大な報奨金目当てで襲い来る戦士たち、教会騎士団からの報復討伐隊の血。
拭き取っても、拭き取っても血の跡が消えない。
剣が汚れるのではない。
多くの血を流すことで、私の魂が穢れていくような感覚。
ロウガもこの感覚を知っているのだろうか…。
きっと、今夜は私の願いは叶うだろう。
きっと、今夜は私の疑問に答えてくれるだろう。
私の…、愛しい死神が、東の果てから私のために、来てくれた。
「待たせてしまった…かな?」
崩れ落ちた天井から満月が覗いていた。
魔力が満ちていく。10年恋焦がれた人に無様な姿を見られる訳にはいかない。今夜は何があっても、私の全身全霊を以って彼に見せなければいけない。
私の魂が黒く穢れてしまう前に。
歪であっても、まだ清らかな魂でいるうちに。
最初で最後の…、刃の睦み合いの中で…。
――――――――――
俺は後悔していた。
あの日を思い出すたび、後悔した。
俺がやったとこは彼女にとってもっとも残酷な仕打ちだったのではないかと。
事実、俺のやったことはただの自己満足だ。
俺はあの日、多くの命を奪った挙句、エレナの未来を奪った。
俺が日の本を出た…、いや、逃げたのも、人を斬りすぎたからだった。
戦乱に明け暮れた時代だった。それでも敵を殺して、大将首を獲り、血飛沫を超えて行けば戦乱は終わると信じていた。戦乱は続いた。いつしか共に生き抜いた戦友が誰もが黄泉へと旅立ち、強くなりすぎたが故に主として仕えた男に、寝首をかかれるのではないかと疑われ、味方に命を狙われた。逃げ込んだ山間の集落で見た光景は、無人の集落の中で座り込んだまま、痩せこけ干乾びて死んでいる子供の死体が一人で誰かが来るのを待っていた。背筋に雷が疾った。これが俺の残した結果だ。戦乱を終わらせるつもりで戦った結果が、こんな子供一人守ってやれない世界を生み出したのだと気付いて、子供の死体の前で泣き崩れた。
死体を手厚く葬り、そのまま俺は海に出た。
何日も海を彷徨った末に辿り着いたのが、この大陸だった。
ここで、やり直そう。
ここで、死者の冥福を祈りながら旅をしよう。
ただ、当てのない旅だった。そんな旅が何年か続き、途中立ち寄ったのがあの村だった。遠くから血の臭いがしていた。避けて通ることも出来たが、どうしてか村へまっすぐ足を進めてしまった。
そして……、幼い日のエレナが、その左目で俺を見詰めていた。
かすかに口が動いた。
それが何と言っていたのか、言葉がよくわからなかった俺には今もわからない。それでもあの目が、『助けて』と訴えていた。
干乾びた子供の死体がちらついた。
『目の前の命も見捨てるのか?』と俺に囁いた気がした。
そして、彼女の命は助かった。
心はあの日に死んでいる。
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