奇妙な心地である。
人間を愛し、
人間に絶望し、
人間を憎み、
人間を滅ぼすと決め、
自我も、
理性も、
痛みも、
悲しみも、
やさしさも、
すべてを捨て、
狂気に身を委ねた我が、目の前のたった一人の少年に現世に引き戻された。
しかもこの少年は、我の愛した男と同じ魂を持ち、我に生きろと言う。
親魔物も反魔物も関係ないのだ。
この少年にとって最も価値あるものは、そういった思想ではないのだ。
ふふふ…、何と酷い少年であろうか…。
そなたを殺さねば我に道なく、されどそなたは殺してはならぬ者。
こんなにまで…、ドラゴンとしてあるまじきところまで穢れてしまった我に、過酷な苦渋の生を生きよとまで言いよるわ…。
何とも甘い少年よ…。
だが、何とも心地良い少年だろうか…。
この少年のせいで、我は楽な復讐の道を閉ざされた。
少年よ、この報い、受けてもらうぞ。
忘れたままなら楽だった記憶、
忘れたままなら楽だった復讐、
忘れたままなら苦しまないで済んだ誇りを、
我に取り戻させたその報い。
「さぁ、始めるぞ!」
少年に圧し折られた右腕は使い物にならぬ。
ならば左で、脚で、灼熱の業火で、
そなたに教えてしんぜよう。
我が死を賭した復讐、死を賭した覚悟…、その目に焼き付けよ!
――――――――――
一挙一動が致命的だ。
狂暴な殺意が消え、曇りのない彼女本来の覇気を取り戻し、洗練されたドラゴンの動きはたかが人間の身では捌き切れない。
ロウガさんなら…、あの人は化け物だから何とかなるかもしれないけど、僕じゃ受けに回るだけで必死だ。ましてや僕の腹には、ダオラの爪が穿った穴が開いている。血は止まったけど…、さすがに短時間じゃ塞がらない!
「…シッ!」
鋭利な爪が頬をかする。
生温い液体の感覚が伝わる。
被せるように左の正拳でカウンターを放つ。
「甘い!」
難なく避けられると同時に甲殻に覆われた膝が傷口に直撃する。
痛みに顔をしかめる。
ジワリ、と傷が開き、流血が再び始まる。
彼女はそれを見逃さない。
暴走していた時よりも疾く、そして翼を広げ宙を駆け、風と共に、その強靭な脚で、鞭のようにしなる力強い尾で、鋭く急所ばかりを狙って追撃をかけてくる。
どれもが一撃必殺の威力を秘めている。
打撃ポイントをずらして直撃を避けるものの、こう続けられたらいつかは直撃する。
彼女の足が僕の顔を鷲掴みにして、空へ舞う。
初めて感じる、言いようのない浮遊感。
「少年、よく頑張った…。これで…!」
直後に襲い来る、急降下による疾走感。
目の前は真っ暗なまま、後頭部は硬い何かに叩き付けられる。
「とどめだ!!」
硬い地面だと気が付いたのは、叩き付けられてめり込んだ大地の土の匂いを感じた時。
頭に硬い石が高速でぶつかる。
…いや、ぶつかったのは僕の方か。
――――――――――――
ダオラの足下でサクラが大地に埋まる。
一度、ビクンと身体が動いたと思うとそのままピクリとも動かなくなる。
正座のまま立会人として鎮座するマイアは、彼女に託された首を抱いたまま、微動だにせず、瞬きも極力抑え、戦いの行方を見守った。
ダオラは動かないサクラに背を向け、歩き出す。
「…見ての通りだ。我は本懐を遂げる。少年が目が覚ますかどうか、それは運次第。目覚めなかった時は…、勝負の常、諦められよ。」
首はこの地に埋めてやってくれ、とダオラは言う。
「…何故、この地なのですか?」
マイアが訊ねるとダオラは意外そうな顔をした。
「…ここが皆殺しの野と聞きましたが、何故そのような不吉な名の地に愛する方を埋葬されるのですか?」
「まこと知らぬのだな。この地こそ汝らの終焉の地。今より三十年前に中立地帯であったこの地に村を築きし汝らの一族の滅びし場所。わずか数名を残し、すべて死に絶え、この地に眠るのは百を超える墓石だけであった…。そして7年前、そこに教会の者どもがさらに侵攻し、墓石を破壊し、人間どもが村を築いた場所。『皆殺しの野』などと誰が呼び出したかのわからぬが、この地こそ夫と娘の眠る地として相応しい。ここならば寂しくはない。共に平和を踏み躙られた者たちが眠るのだから…。」
マイアは驚愕する。
現教会領が母、アスティアの生まれた村、彼女の悲劇の地であると初めて知る。
「さぁ、くだらぬ質問は終わりだ…。そなたは、そなたの決断をせよ。我は征く。すべての不義に鉄槌を下し、我は地獄の業火に身を焼かれよう。隠り世というものがあったとて…、我は夫や娘に会えぬだろう…。だが、我は征かねばならぬ!」
「…私は何も申しません。あなたの決意はあなただけのもの。ここが…、私たち一族にとっての悲劇の地であったとは…、何とも奇妙な縁を感じずにはいられませんが…、あなたは本懐を達成出来るでしょうか?」
ダオラが足を止める。
「何を言って
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