第三十三話・ジュネッスブルーC願い

彼女の歌が止まった。
そして、貫くような視線で僕を睨む。
良かった…、もし今までの経験がなければ、この殺気だけで殺されている。
「ニン…ゲ…ン…!!」
問答無用だった。
座した瓦礫が彼女の蹴り脚で消し飛ぶ、白銀の翼が風を生み、疾るなんて生易しいスピードではない速さで向かってくる。
「グオォァァァァァァ!!!!」
何の小細工もない、荒々しい獣のような一撃が顔面を襲う。
前までの僕ならば、逃げることに、避けることに徹していただろう。
だが僕は構わず前に踏み込む。
狙うのは突き出される、その白銀の甲殻に覆われた拳だ。
「うおぉぉぉぉ!!!」
右の正拳を叩き込む。
だが、ヒットする直前で彼女は拳を引き、飛行軌道を変え、僕の後方へ高速で抜けていく。
そして空中で静止したかと思うと、彼女の口の中に魔力が漲っていくのを感じた。
それはゆらゆらと陽炎のように揺らめいたと思うと、一瞬にして灼熱の業火となって彼女の口から漏れていく。
「マイアさん、僕の後ろに!」
マイアさんの盾になるように前に出る。
右腕の刻印に魔力を込める。
あれが炎なら…、同調出来るかもしれない。
「グアァァァァァァ!!!!」
強大な炎の塊が彼女の口から吐き出される。
これが…、この村の住民が最後に見た姿なんだ…!
やれるか。
「せいやぁぁ!!!」
右腕の刻印をあの炎の塊と同調させる。
このままこれを掻き消せれば…!?
駄目だ!
僕の…、人間の魔力じゃ…、抑えきれない!
「せ、せめて!」
同調させたまま炎の塊を弾き飛ばす。
斜め後方に飛ばされた炎が何かにぶつかり弾けて、爆発する。
右腕が…、軽い火傷を負っている。
凄まじい熱量の突風が僕らを襲うけど、僕は彼女を…、空中で制止するドラゴンから目を離せないでいる。
「…人間メ、人間メ、マタ我カラ奪ウノカ!!」
彼女はただのドラゴンじゃない。
狂い掛けて、その自分自身の力で滅び掛けたドラゴンなんだと気付く。
「…僕は。」
月並みなことしか言えない。
彼女を倒しに来た訳じゃない。
なら僕は何のために来たのか…。
全身が傷付いている。
甲殻に刀傷や亀裂が入っている。
矢が何本も刺さったままになっている。
もう、彼女は痛みも意に介さないのだ。
ただその腕に抱かれた人たちの首の無念を晴らすために。
ただこの世の不条理に鉄槌を下すためだけに。
彼女はすべてを捨てて、鬼になっているのだ。
「あなたを助けたい。」
それが僕の言える唯一のこと。
それだけが僕が僕である理由。
それだけしか出来ないのが僕が僕である証明。


―――――――――――


ダオラはすべてを捨てたのだ。
愛する者を奪われ、愛する我が子の首を刎ねられ、その瞬間に捨てたのだ。
痛みも、やさしさも、温もりを…、愛した男がくれた暖かい場所を。
人間と見れば、すべてを死肉に変えた。
爪で引き裂き、その牙で噛み殺し、その力で殴り殺した。
人間の集落を見付ければ、すべてを灰に変えた。
一つ、また一つ、彼の愛した世界を灰へ変えていく。
彼女の復讐は終わらない。
この世のすべてを灰にし終わるまでは。
そして最後には彼女自身を灰に変えていくのだろう。
白銀の龍は赤黒い返り血を身に纏い、恐怖を纏う。
すでにダオラに正気はない。
彼女が正気に戻るのは、ほんの一瞬だけ。
静寂な月夜に死んだ我が子と夫のために子守唄を歌う時だけ。
だが、その正気も長くは続かない。
彼女の前にサクラが現れてしまったのだ。
憎むべき人間がそこにいる。
殺さなければならない人間がそこにいる。
それだけで彼女の残った理性は弾け飛んだ。
本能のまま戦う凶暴な龍の姿がそこにあった。



「マイアさん、お願いします。人間の不始末は…、人間の手で付けます。どうか…、手を貸さないでください。それが彼女へのせめてもの…、いえ、唯一の償いですから…。」
サクラが前に出る。
私は大剣に手を伸ばしかけた手をゆっくりと元に戻す。
「…そうか。そうだな。これはサクラの旅だ。私はあくまで見届け人で、立会い人だった…。そうだったね。わかったよ。邪魔はしない…、けど、覚えていてほしい。」
サクラの手を握る。
私のありったけの勇気を彼に渡すように…。
「必ず…、帰って来い。自分の足で帰ってくるんだ。そして…、今度こそ…、私を抱きしめに帰って来て…。償いのために死んだのでは…、何の意味がないことを覚えていてほしい。」
「今度こそ…、僕は…、あなたに誇れる自分になります。その時は…。」
「続きは…、戻ってから言ってくれ。遺言にするにはあまりに悲しい。」
はい、とサクラはゆっくりと手を放す。
白銀のドラゴンの前へ歩みを進める彼の背中を見送り、私は祈っていた。
どうか…、無事に…。
何に祈ったのか…、自分でもわからない。


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