第三十話・ジュネッスブルー@叙事詩

そこにいたのは猛り狂った龍の姫。
気高き魂などなく、手当たり次第に人間を襲う。
彼女の腕の中には朽ち果てた頭蓋。
涙を流して彼女はすべてを焼き尽くす。
憎しみも赴くまま。
殺せ。
殺せ。
殺せ。


あの旅立ちからまもなく1年。
僕らは教会領ヴァルハリアに侵入に成功した。
途中、砂漠で道に迷ったり、ギルタブリル…って言うのかな?
彼女に僕が攫われて、危うく貞操を失いそうになったり…、マイアさんがいなければ本当に危なかった旅を経て、反魔物派の総本山に入った。
正直な感想を言えば、酷く退屈な土地だ。
商店も町も…、笑い声すらない。
常に感情を殺して、ただ神の言葉を繰り返す。
僕なら1日とて耐えられない。
「…何なんだここは。悪質な洗脳か?」
「たぶん、違うと思います。これがあの人たちの日常なんだ。きっと…、生まれてからいつの日か死ぬまで…。」
文化というものが何一つ感じられない。
僕たちの町では農業に従事するにも畑を耕すのに、鍬を使うし、牛や馬を使う。
だけど彼らは、ずっと昔の非効率的な棒を叩き付けて土地を柔らかくするだけ。
発展というものを極端に嫌ったようなこの土地で…、僕は何を見るのだろうか。


――――――――――


私は生まれて初めて人目に触れぬように道を歩く。
大きなローブを頭から尻尾の先まで被り、一見してリザードマンであることがわからないように変装する。
サクラの言う通り、実に退屈な国だと思う。
ただ小さな集落が転々としてあり、子供が外で遊ぶ声も、女たちの笑い声も、男たちの威勢の良い声も何もない。
ただ静寂の空間。
私たち以外が存在しないかのような、酷く不自然で虚ろな場所。
予想通りにここでは魔物に会えそうもない。
完全にこの国は人間だけの国のようだ。
今時珍しいと言わざるを得ない。
たまに声を聞いたかと思えば、神父と思われる男が声高に神の言葉を村人たちを集めて言い聞かせる声。彼らは皆微動だにせず、ありがたそうにその言葉を胸に刻み、打ち震え、涙を流す。
それは地上の魔物を一掃する必要性を説く。
それは地上の悪魔たちを滅ぼす必要性を説く。
それはすべてを駆逐し神の国を作る必要性を説く。
それは…、何とも酷い嘘で固められた彼らだけの真実。
まるでたった一人でしか気持ち良くなれない自慰のようなもの。
「ということだが、自慰の第一人者のサクラはどう思う?」
「だ、誰が第一人者ですか…。一年も前の話を蒸し返さないでください!」
「…昨夜、テントの外で息を荒くしていたの、誰だっけ?」
「お、起きていたんですか!?」
「目も覚めるさ…。私の名前を口に出しながら一人でしているので、声をかけ辛かったぞ…。」
サクラは五体倒地の姿で声を殺して嘆く。
「しかも見られていたなんてぇ…。」
「いつも言っているが…、そんな我慢は身体に良くないぞ。精神衛生上も良くない。私は君が好きで、君は私が好き。問題ないじゃないか…って一年言い続けたなぁ。」
というより、君は本当に自慰が好きだな…。
「生身の女に興味がないのか?」
「あ、ありますよ…。昨日だって…、その…、マイアさんが薄着だったので…、その…、こ、興奮してしまって…。」
「昨日は暑かったからな。しかし誘ってみた甲斐がない、というものだな。」
「…意地悪しないでくださいよぉ。僕だってギリギリの精神力で踏ん張っているんですよぉ…。」
「実はな、サクラ。あの日、町を出立する前に母上からこんな言伝を預かっている。」
サクラに一枚のメモを渡す。
【帰ってくる頃までに孫を連れて、もしくは仕込んで帰れ。】
そのメモを見た途端再び五体倒地のように頭から地面に崩れ落ちる。
一見すると修行者にしか見えない。
「何を考えているんだ、あの人は…。」
「まぁ、母も若いうちに孫が欲しいのだろうな。父上は歳だし、孫の一人でも抱かせてあげたいという夫婦愛だと私は思うぞ。」
実際、私自身それは望んでいるが、どうにも彼がウンと言わない。
「おい、あそこに何かいるぞ!」
まずい、見付かったか。
私たちは隠れるようにその場所を後にした。


――――――――――


無人の野に唯一人、龍の姫が佇んでいた。
愛する人を奪われ
愛する人を目の前で殺され
愛する者が二度と目を開かないことを知り
涙を流して
無人の野をその手で造る。
誰が彼女を裁けようか。
誰が彼女を非難できようか。
彼女の腕の中
幼かった娘の頭蓋を愛しそうに抱きしめる。
愛しい人の好きだった歌を口ずさむ。
無人の野に響く切ない歌。
もう誰も聞くものはいない。
ただ、戻らない日々を
懐かしむように歌うその声は
いつの日か
強き御霊の少年と少女を呼び寄せる。
この皆殺しの園
この死者の丘
この悲しい因縁の巡る土地で
すべては巡り合う。
10/10/31 01:21更新 / 宿利京祐
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