宵闇夢怪譚『屍竜奇談』

この世界にはいくつか聖地と呼ばれる土地がある。

そこで偉人が生まれた

歴史的に重要な場所だ

様々な理由で人は聖地を作る。

しかし時には誰が呼ぶでもなくそう呼ばれる土地かある。

神々の奇跡が起こる場所

それこそが本物の聖地なのだ。

世界にはそんな場所がいくつかあった。

そして、ある夜そのいくつかあった本物の一つが消えた。




 私は首だ。
 云われなき罪人だ。
 中央広場、断頭台の側に打ち捨てられた悲しき首だ。
 何の罪も犯してはいない。だが、もしも、余所の国で奴隷として生を受け、流されるままにここに売られ流れ着き、奴隷でありながらそれでも人間として正しく生きようとしていたことが罪だと言うのならば、私は罪人なのだろう。
 ほんの数時間前、私にも身体があった。
 首から下に健康な身体があった。しかし、うっかり殺人の現場と犯人の顔を目撃し、それを代官所に訴え出たがために私はその場で逮捕され、何日にも及ぶ拷問の末にあの断頭台に登るはめになった。犯人は私に死刑を言い渡した聖職者。この街の人々から尊敬され慕われる人格者だった。だが私にはもう彼を告発することは出来なかった。執拗な拷問で声を発することが出来なくなっていたからだ。
 街の人々もわかっている。
 私は犯人などではないことを。
 しかし私が犯人であることが望ましいのだ。真犯人などわからなくても犯人は私でなければならないのだ。その方が都合が良い。この街の人間が罪人になどなってはいけない。
 ここは聖地。
 奇跡を生む街。
 善き人々の住む街。
 罪人は余所者でなければならない。
 罪人は卑しい身分であらねばならない。
 だから、誰も私を助けてはくれなかった。

「やあ、こんばんは」

 突如、私の遙か頭上で声がした。
 どこか軽やかで爽やかな女の声だったのだが、私はその声の主の姿を見ることは出来ない。喋ることも動くことも出来ない、端から見れば正真正銘首だけの死体なのだから。
「驚いたな。あまりにこの世に絶望しきった顔をしていたので一言慰めの言葉を掛けてやろうと思ったのだが──何とまあ、まだ意識が残っていたとはね」
 そう、まだ意識が残っている。
 幸い首を落とされた痛みは一瞬で消えたものの時間を追うごとに視界は白く濁り、脳髄の奥は何かよくわからない黒く濁ったものが流し込まれたかのようにぼんやりと痺れて、言葉も発することも出来ない。緩やかに普通よりも遥かに時間を掛けて死に向かってはいる。だが、まだ意識があるのだ。肉体的には死んでいるのに私はまだ生きているのである。
 こんな残酷なことがあるだろうか。
「なるほど、なるほどなるほど。この地か、この土地の影響か。ここは紛い物ではなく本物の聖地、奇跡の土地だからか。奇跡が君の死を拒んだ。惜しいな、首から下が残っていたなら君はかの三日目に復活したかの人の如くなれただろうに──いや、君の場合は改めて殺されるだろうな」
 女は独り言のように私に語り掛ける。
 ぼんやりと木霊するようにしか聞こえていないのだが、それでも最期まで耳は機能するらしい。それもいつまで機能するのかはわからない。だが私は嬉しかった。理由も彼女の姿もわからないが彼女は私に語り掛けてくれた。私を認識してくれる誰かがいた。死んでいくのは寂しく一人ではあるが、私はこの思い出を反芻しながら死んでいける。
 それだけは幸せだと感じた。
「──君の声が聞きたいな」
 彼女は無茶を言っている。
 何度も言うが私は死体なのだ。意識だけはまだ残っているとは言えど首だけの死体なのだ。あまりに無邪気な呟きだった。もし私に声を出せる機能が残っていたなら笑いを漏らしただろう。

 しばし間があった。

 一瞬の浮遊感。
 感覚は鈍いのだが何となくわかった。どうやら私は持ち上げられたらしい。しかし聞く機能こそまだぼんやりと残ってはいるものの、視界は白く汚れて濁って何も見えない。ただ、痺れたかのように感覚のない両頬に違和感のような感触が薄くぼんやりとあった。
 何が何だかわからない。
 打ち捨てておけばその内人知れず意識も消え失せていくだろうに、彼女はわざわざ私の首を抱えてどこかで供養でもしてくれるのだろうか。もしもそうならありがたいと思った。完全に死ぬ前に野犬に貪り食われるのも嫌だったし、例えそうでなくとも誰にも知られることなく朽ちていくのは正直なところ堪えられるものではなかった。寂しかった。心から。
 名も顔も知らないが彼女に出会えて良かったと思う。
 私の生は無価値ではなかった。
 何となくそう思えてならない。

 そんな心穏やかな死を受け入れようとしていた時

 −ぷしゅ−

 という空気が抜けるような小さな音がした。
 何の音だろう、と疑問に思うよりも早く私は私自身に起こっている
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