第百十話・確定に近い虚構の『もしも』

「状況は良くない。」
そう言って、目の前の男は難しい顔をしながら、地図の上に置いた兵に見立てた駒を動かし始めた。
なるほど、この大軍のような駒が僕ら連合軍。
そしてこっちの寡兵のように寂しい駒は同盟軍を表しているのか……って。
「何で君がこっちに来て説明してるんだよ、ハインケル=ゼファー。」
「硬い事言ってるんじゃねえよ、リトル=アロンダイト。俺だってたまには息を抜きたい時だってあるんだ。」
目の前の難しい顔をしている年下の男、ハインケル=ゼファーはテーブルに頬杖をして気だるそうに答えた。
ここは僕ら『沈黙の天使騎士団』の駐屯地。
駐屯地とは言えば聞こえは良いが、連合軍総司令官であるフウム王国先主フィリップ=バーントゥスクルに監視しやすく、例え裏切っても本陣を急襲出来ないような遠すぎず近すぎずという場所に僕ら沈黙の天使騎士団は駐屯させられている。
「いやいや、それ以前にさ…。君、こんなところに出入りして大丈夫なの?」
僕らは馬鹿王…、いやフィリップ王に謀反人の嫌疑を掛けられている。
つまり危険分子扱いだ。
一応、表向きは教会勢力最強の勇者としての顔があるハインケル。
実際は教会勢力どころか、彼らと敵対する最強勢力である魔王軍の魔界勇者の一人な訳なんだが…。
そんな危険な場所に、この男は単身、しかも散歩のついでに立ち寄ったような雰囲気で僕の帷幕を訊ねてきたのだった。
「ゆ、ゆ、ゆ、ゆうううう…ゆう、勇者様…!!!そ、そちゃ!粗茶でございま!!」
明らかに緊張し切って、プルプルと震えながら上擦った声を上げるカタリナ。
そういえばカタリナの村…、いや神聖ルオゥム帝国も一応は教会勢力の辺境大国だったけ。
元々ただの村娘だったカタリナからすれば、勇者ハインケル=ゼファーと言えば雲の上の人物なのだろう。
………何故だか、面白くない。
「……お茶はいらないよ、カタリナ。この人、すぐ帰るから。」
「酷いな、リトル=アロンダイト。ああ、お嬢さん、お茶はそこに置いておいてくれないかな。」
優しい笑顔を向けるハインケル。
そんなハインケルにカタリナは、よく零れないな、と思うくらいにプルプルと震えながら、テーブルの上にお茶独特の良い香りと湯気が立ち上る二人分のカップを置くと、足早に頭を下げて僕の帷幕から赤い顔で立ち去って行った。
……やっぱり面白くない。
「ああ、良い香りだ。おい、リトル=アロンダイト。男の嫉妬は醜いぜ……っと、お前はそれなりに頭は切れるが、どこかの誰か並みに事そっちの方面には鈍感だったっけな。いやぁ、悪い悪い。お前の邪魔しに来たんじゃないんだ。もう少しここに居させろよ。」
何だかわからない内にハインケルは自己完結してしまった。
その内、無言でカップのお茶を啜りながら、彼は再び真剣な顔になると無言で駒を動かし始めた。
しばし、駒を動かす彼の手を見ながら、僕はこの地図上で起こっていることを想像しながら、ハインケルの無言劇にお茶を飲みながら付き合うことにした。
「……安心しろよ。俺は病気と称してこっちに残ったが、正直言えば本陣はほとんどもぬけの殻だ。もっとも用心に用心を重ねて、それなりに結界を張っておいたし、ここを監視しているやつらも全員俺の部下に交代させておいた。」
地図から目を放さないまま、彼は突然僕の疑問に答える。
「まさか…、殺したのか?」
「交代だ。ただ突然、行方不明になってもらっただけさ。」
ハインケルは多くを語らなかった。
ただ、監視者は行方不明になったのだ。
永遠に、誰にも見付かることなく。
彼の本来の顔を知ってはいるのだが、言い知れぬ後味の悪さを感じていた。
「……お前は良い男だな、リトル=アロンダイト。敵に情けではなく、心の底から敵の死を悼んでいる。ヒロ=ハイルにしてもそうだ。あいつもこれまで敵と信じたセラエノの連中と戦うことに心を痛めている。だから敢えて帝都コクトゥを僅か1000程度の少数兵力で急襲し、電光石火の進撃で連合軍の出鼻を挫き、根気良く投降を促すつもりでいる。それも偽善ではなく、本気だから……、俺も頭が下がる。」
「君だって色々軍略や策略、果てはえげつない謀略までその頭で描いているじゃないか。自分のためじゃなく、誰かのために…。一見あくどいけど、出来る限り被害を最小限にはしている。ヴァルハリア領民やフウム残党の中でも、死なせちゃいけない人は死なないように手を打っている。悪ぶっちゃいるけど、君こそ心から相手の死を悼んでいるんじゃないのかな?」
よせよ、と言いたげにハインケルは気だるそうに手を振った。
再び無言。
ハインケルは口元を手で隠し、ぼんやりと遠くを見るような仕草で長考の構えに入った。
時折、目だけチラリと僕を見る。
「……訂正だ、リトル=アロンダイト。お前は本当に嫌なやつだな。」
「ありがとう、ハイン
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