第百九話・Scarlet love songA

―――ヴァルハリア歴807年、帝国歴15年、文治2年3月25日
―――学園都市セラエノ


ああ、暖かな日差しだ。
毒と怪我の治療のため、前線を退いて、我らが本拠地である学園都市セラエノへの帰還を、我は余儀なくされていた。
ここは、セラエノ学園の敷地内に間借りさせてもらっている我が私室。
こじんまりとした部屋で、我ながら必要最低限の日用品と、今は亡き家族の思い出を描いてもらった絵画しかない部屋。
これが、龍姫ダオラともあろう者の部屋か。
我ながら苦笑いを浮かべてしまう質素ぶりだが、困ったことに我にインテリアなどの趣味がないから仕方がない。
テーブルの上には、同族のカンヘルが送ってくれた花が花瓶に活けられている。
華やかなのはこれくらいなものだな。
カンヘルが言うには、かつてこの街でクーデターを起こし、僅か20余名でセラエノの者たちを相手に勇敢に立ち向かい、そして散って逝ったヴァル=フレイヤたちの眠る墓地に咲いていたという、ルビーのように深い緋色の、この街に相応しい名もない美しい花。
まるで彼女たちのように気高く美しい花だ。
「ふふふ……、我に花は似合わぬというのにカンヘルめ。」
笑って悪態を吐いてみても、嬉しいという気持ちに変わりはない。
それ程に我の症状は悪いのである。
ジークフリート=ヘルトリングにやられた左腕は、想像以上に傷が深く、彼が剣に塗り付けていた毒は非常に強力で、傷の治りが我がドラゴンの肉体を以ってしても遅く、連日の高熱にあの日から一月以上も苦しまされた。
今も、左腕には大袈裟な包帯を巻き、首から三角巾で吊っている。
「……痛ぅ…!」
恐る恐る手を握ってみようとしたのだが、左腕に激痛が走って思わず声を挙げてしまった。
「…情けなし、であるな。」
未だ、左腕はよく動かない。
白銀の龍姫と呼ばれし我がこの様だ。
表面上、傷は塞がっているが、医師が言うには筋肉が毒に犯されてズタズタなのだという。
「ジークフリート……、ヘルトリング…。見事な男であった。」
我が犯した罪の犠牲者。
我はその名を命尽きるまで忘れることはないであろう。
この傷の深さが、彼の憎しみの深さ。
この傷の痛みが、数多の怨霊の嘆き。
時々、我はこうした呪詛の如き痛みに悩まされていた。
ジークフリートの剣戟を受け止めて以来の痛みは、時にこうして蘇り、繰り返し響く呪詛に眠ることも出来ず、押し寄せる痛みに耐えながら我は、このベッドの上で今も戦い続けているであろう仲間たちを思い浮かべて、暖かな日差しを浴びながら思索にふけるのであった。
「仲間、か…。」
奇妙な話だ。
人間を愛し、人間に愛する喜びを教えられ、人間に愛する者をすべて奪われたというのに…。
我は人間たちを、仲間と呼んでいる。
嗚呼………、何故なのだろうな…。
「どうか、無事で…。」
何故、祈る。
何故、敵と呼んだ人間たちの無事を祈るのか。
不思議だ。
今も、あの日の怒りは忘れてはいないというのに。
今も、あの日の憎しみは激しく燃えているというのに。
我は人間を憎んでいるのに、どういう訳か憎んでいない。
「ははっ………、何たる矛盾…。」
この、ハッキリとしない気持ちを誰かと語り合いたい…。
以前であれば、真っ先に思い出されるのは死んだ夫と娘だった。
だが今は………。
「………………サクラ。」
死んだ夫と娘と同じ場所に、我はサクラを思い浮かべていた。



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――――――ヴァルハリア歴807年、帝国歴15年、文治2年3月20日
――――――神聖ルオゥム帝国帝都コクトゥ城門前


史記に曰く。
神君(紅龍雅)、7万の民の群れを連れ、1500の兵を伴いてルオゥム帝国南部新帝都(オルテ)へと発つ。
旧都(コクトゥ)に500の老兵、2000の民を残し給うは、神君の意思に非ず。
郷愁と意地、郷里愛に自ら殉じ、豚魔兵(ヴァルハリア・旧フウム王国連合軍)に目に物見せんと欲し、旧都脱出を拒みし兵(つわもの)ども、民も戦士もなく、手に剣や農具を持ちて、殿(しんがり)として留まりて、是(帝都防衛)に当たらんとす。
是即ち玉砕に等しく、神君是を良しとせず涙し、勅命を以って共に新帝都へ参らんと説得す。
されど兵ども、遂に首を縦に振らず。
皆、死兵となりて、ただ自らの胸の内に宿せし思いに殉ずると、勅を畏まりて是を拒絶す。
神君、ただ黙して彼らに頭を下ぐ。
心中、如何程の悲しみか。
その知る術、我らになし。


紅龍雅の目の前には、不思議な光景が広がっている。
7万もの群衆が行進とも言えぬような不揃いの歩幅で、不規則に隊列すら組まないで、ただ希望に満ちた目で同じ方向を目指して、力強く歩き続ける。
ある者は大きな荷物を背負い。
ある者は幼い子を背負い。
ある者は
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