第百十三話・神楽舞『幻影の貌』

 歴史の一次史料として名高い『教国公歴』に引く

 彼らの不幸は無能な指揮官が上にいることだった。
 成すべきこともわからず、成さねばならぬことの為ならば例えどんな手を使ってでも心に決めたことを成さねばならなかった。それなのにも関わらず、未熟故に、否、決意未だ定まらぬことを自覚出来ていなかったことこそが彼の者の不明であった。

(中略)

 迷いがあった。
 迷いがなかったなどと嘘は吐けない。
 強がっていた。
 迷ってなどいないふりをしていた。
 それ故に、多大な犠牲を出してしまった。
 だけど後悔することは許されない。
 彼らの死は無駄ではなかったと信じたい。

 もう、私を導いてくれるあなたはいないのだから







 追撃隊の不幸は統一されていない指揮系統だった。
 誰がどう見ても追撃隊は初手からズルズルとしくじっていた。防衛機能が限りなく低いとは言えど明らかな小勢且つ準備不足で場当たり的に倍近い人員の立て籠もる(旧)帝都コクトゥの城壁を攻め、何一つ戦果を挙げられず貴重な人員を幾人も失った。
 攻城兵器もない軽装備の騎兵と歩兵ばかりのわずか数百人の群れである。そこに大した戦果など望むべくもない。城攻めを中止しても彼らのしくじりは終わらない。多くの者が傷付き、倒れ、ノエルらと共に南都に逃れる民たちを傷も士気も癒えぬまま追う頃には一人、また一人と追撃隊は大地に臥していった。再び立ち上がる者は皆無だったと伝え聞く。
 そこに紅龍雅らの籠もる防御陣襲撃である。
 歩調も戻らず、士気も低いまま、無為無策に正面から傷付いた兵たちが突撃を繰り返す。罠に足を取られ、瀕死の仲間を踏み砕いて走ろうとも犠牲が増えるばかりで何一つ得られるものがなかった。それどころか次々と味方が、さっきまで会話を交わしていた仲間があっという間に死んでいくのを見て戸惑い、ついには進むも退くもままならぬ状況に陥ってしまっていた。
 指揮官は何の手も打たなかったのか。
 否、そうではない。
 当時の記録によれば、この時点で二人の指揮官が対立していたとされている。
 追撃隊を率いる連合軍上級大将ヒロ・ハイルは後退命令を出していた。ヒロはどちらかと言えば敵同士とは言えど紅龍雅に生きていてほしいと願う側である。それは残された彼の手記から龍雅への尊敬や慕情、敵として戦った者同士にしか理解し得ない奇妙な友情のような想いが滲み出る程であった。彼がそれを自覚するようになったのはこのさらに数年後になるのだが、その想いはこの時、彼の指示した後退命令として現れるのだった。
 定かではない諸説ある内の一つではあるがそれによればヒロ・ハイルはごく貧しい平民層出身であるとされ、連合軍上層部においてはハインケル・ゼファーを除けば誰よりも末端の兵卒の心を知る叩き上げの騎士である。それはほとんど明らかになっていない彼の半生から得たものではあったが、それ故に何を以て多くの雑兵たちが戦意を亡くすか、如何にして萎えた気持ちを生き返らせるかを彼は肌で知っていた。
 一先ず退き、後続の味方と合流すること。
 たったこれだけのことなのだが、誰が見ても数で劣る敵を前にして退くことは非常に勇気のいる決断である。事実その数に劣る相手に痛手を負っている現状では兵士たちは戦えない。身体より心が戦おうとしてくれなくなる。だからヒロは敵の強さを認め、まだ兵士たちが動ける内に退き、尚も戦えるというのであれば味方と合流して有利な状況を作ってからだという腹積もりだったとされている。
 そして彼は龍雅を理解していた。
 退いたとてこれ幸いと追っては来ない。
 龍雅は追って来るぐらいなら逃げるであろうと見抜き、その上で見逃すつもりでいた。こちらは有利な状況を作るために退き、きっと龍雅もヒロの意図を理解して疾風の如くこの地を去る。それは奇しくも紅龍雅の描いた作戦と合致しており、この時ヒロ・ハイルは敗戦続きの連合軍の士気を上げるためだけに俄かに出世した騎士団長上がりのお飾りではなく、すでに連合軍において紅龍雅と比肩し得る文武両道の軍略家に成長していたことを史書『教国公歴』から読み解くことが出来る。
 しかしもう一人の指揮官、ヒロ・ハイルの監視役も担う旧フウム王国将軍グリエルモ・ベリーニは違っていた。
 彼は立身出世に貪欲であった。手柄を立てる。それは良い。それは将たる者であれば必要不可欠な素養である。だがヒロ・ハイルとは違い、彼には犠牲者のことなど眼中になく、死に逝く兵士たちはグリエルモにとっては踏み台でしかなかった。ヒロ・ハイルが後退命令を出して再起を図ろうとしたことを彼はあろうことか無視、あるいは勝手に取り消して徹底的に突撃命令だけを出し続けた。何らかの意図があったのではない。その姿はただ目の前にぶら下がった美味しそうな餌に一心
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