何年連れ添っても、わからないものがある。
見張り櫓の上にロウガがいる。
酒と肴を持ち上がり、見張り櫓に登っていながら、これでもかと言わんばかりにまったく見張りの職務を果たしていないあいつは、ただ真夜中の月明かりに照らされた色鮮やかな黒い世界を、松明の灯かりの中でいつも見せる悪意を含んだ笑いを浮かべていた。
「楽しそうだな、ロウガ。」
ザァと風が木々を揺らす。
黒い世界が呻き声を上げているような錯覚を覚える。
「おう、アスティアか。お前も飲むか?」
「…そうだね、いただこうか。」
櫓に登った私の姿を見付け、ロウガはお気に入りの朱塗りの杯を掲げる。
鎧にしてもそうだが、本当に彼は朱色が好きなんだろうと思う。
「………良い酒だね。セラエノの酒じゃなさそうだが?」
「クックック、ガルドの贈呈品よ。」
ガルドというのは商人ギルド『砂漠の兄弟社』に所属する、望めば屈強で強靭な傭兵から、モフモフした可愛い兎さんまで迅速に用意出来るというやり手の商人で、フルネームをヘンリー=ガルドという男のことである。
自称戦争商人であり、本人の言を借りれば反魔物国家であろうと親魔物国家であろうと、金さえ積めば味方する最低で卑しい男なのだが、そう自称する割りには熱血漢であり、今一つ非情になり切れないという、今時珍しく『人間らしい』魅力のある人物だというのが私の印象だった。
「………早馬が来た。あの子が夜明けと共に千の兵を引き連れて帰還する。」
あの子、というのはアドライグのこと。
未来から迷い込んだという娘なのだが、どこか無気力や諦めを感じさせる危うい娘である。
頭も悪くはなさそうだし(むしろ優秀そうだ)、身体的な基本能力も悪くはなさそうだから、ちゃんと自分の使命や生きる意義を見出せたなら、今後の育ち方次第で大きく花開きそうな予感もするのだが………それは、私やロウガの役目ではないような気もする。
「……千か。」
「少なかったかな?」
「……いや、多すぎる。それではフウム残党と兵力が同じになってしまう。」
同じになってしまうと何か問題でもあるのか、と訊ねると、ロウガは笑って言った。
「大問題だ。せっかく半分くらいの兵力で相手してやろうと思ったのに、ハンデがなくなってしまっては戦にならないじゃないか。これでは戦争ではなく、一方的な凌辱にしかならない。」
楽しそうに笑うロウガを見ていて、ふと気が付いた。
右腕が、動いている。
「ロウガ、動くのか!?」
私の驚きに彼は『ああ』と短く答えた。
「俺自身、この右腕がどうやって動くのかよくはわからないが、最近わかったのはお前を抱く時、反魔の連中が繰り返す非道に怒りを覚える時。後最近じゃ若い時を思い出して、戦に胸躍る時に動くようになったな。」
私を抱く時と反魔への怒りが、その同列に位置することは何だか居心地悪いのだが、思い返してみれば私を抱く時、ロウガの目には私が幼い頃に受けた拷問の醜い傷が映るのだ。
この醜い傷が私たちを繋ぐ糸なのだが、この傷を想う度に彼は怒りを覚えるのだろう。
私だけではない。
この傷こそが、この世界に散らばっている膿の象徴だ。
「………ありがとう、ロウガ。私を救ってくれて。」
「俺は何もしていない。」
「………………じゃあ、そういうことにしておくよ。」
わからないものだ。
私の生殺与奪の権利はロウガにある。
あの頃、復讐心を胸に破滅へと突き進んでいた私を、多大な代償を払って打ち負かし、遠い異国(それどころか異世界ではあったが)から来た彼のために、我々リザードマンの掟を伝えてからもう20年近くの時が経っているのだというのに、ロウガはその間一度もその権利を行使したことはない。
小さな頼み事はしてくることがあるが、彼は基本的に私の望みを叶えることしかしない。
夫婦になったのも、幸せな家庭を築いたのも、すべて私の願い。
「………アスティア、アドライグの連れた兵は近隣に伏せて待機するように伝令を飛ばせ。」
「……何をする気だ?」
「クックック、知れたこと……連中をからかい尽くすまでよ。ついでだ、アドライグにそのまま千の兵を預けておく。ルオゥム皇帝の義娘、と聞いているからな。いずれは人の上に立たねばならんのだから、その予行練習として存分に慌てふためくが良い……クックックックック…。」
心底楽しそうに邪悪な笑いを浮かべながら、ロウガは煙草に火を点ける。
未来で『魔王』とか何とか呼ばれているのだから、少しは悪意のある行動は控えて、そう呼ばれる未来を回避して欲しいものなのだが、この悪人然とした仕草や思考回路もロウガらしさなのだと諦めている私がいる。
嗚呼、憎らしいことに、つくづく私はこいつに惚れている。
「それにここでの戦いで、勝利なんざ必要ない。」
時々ロウガはとんでもないことを口走るが、さすがにこれには驚
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