ウェールズがガーベラを連れて、宿泊している部屋に帰り付いた時、壁に掛けられた時計は、静かに午前2時半を回ったところだった。
まずはゆっくり身体を休めたい。
そう考えたウェールズだったが、地面にしこたま叩き付けられて泥だらけになったガーベラの姿を見て、彼は気を使って、彼女に先にシャワーを浴びることを勧めると、自分は外に出て待っているからと言い残して、そのまま巻き煙草の紙箱を一つ手に取ると、外に出て、そのままドアにもたれかかって天を仰いだ。
ウェールズはシャワーを勧めた際に、何かを勘違いして慌てふためいたガーベラを思い出し、唇の端に僅かな皺を作ったのだが、その笑みはすぐにいつもの仏頂面に戻った。
「………クソッ、マッチを部屋に忘れた。」
取りに戻ろうかと考え始めていると、部屋の中からシャワーが流れる音が聞こえた。
その音を聞いて手遅れだったことを悟ると、ウェールズはずるずると扉を流れ落ちるように床に腰を落ち着け、火のない巻き煙草を一本咥えると、暇を持て余すように口で上下に揺らしながら、ぼんやりと廊下を眺めていた。
何か、夢みたいだ。
それが彼の感想。
自分のすぐ傍にガーベラがいる。
二十数年の旅の間に、こんなに感情が揺れ動いたことがなかったような気がする。
この安宿の粗末だが清潔に保たれた廊下が、自分を幻想に誘う夢の回廊。
「夢、じゃないな…。」
夢ではない。
その証拠に、彼の右手の手の平がガーベラの温もりを感じている。
その目が、あの頃と変わらない彼女の姿を捉えている。
「よくよく、俺は不器用な人間らしいな。」
諦めたような溜息をウェールズは吐いた。
こういう風に、戦うことでしか自分を表現出来ない。
戦うことでしか、相手の思いを感じられない。
だが、それをウェールズは恥じてはいなかった。
「やれやれ…。60も目の前だというのに、マザコンここに極まれりだな。」
そう言って、自嘲気味に笑う。
むしろ歳を重ねるたびに、彼の考え方や性格はどんどん義母であるドラゴン・カンヘル=ドライグに似てきており、彼女を自己の誇りであると考えているウェールズは、そう思えてしまうことに複雑な思いを抱きつつも、それほど不快感は感じていなかった。
「あ……あの…ドライグさん…。シャワー……、上がりました…。」
扉の向こうから、遠慮がちなガーベラの声が聞こえてくる。
ウェールズは、立ち上がるのに思わず掛け声を掛けてしまう自分に、少しだけ自己嫌悪を感じながら、ドアノブに手を掛けた。
「……………ん?」
何か視線を感じたような気がする、とウェールズはドアノブに掛けた手を放し、視線を感じた気がする方向を凝視したのだが、気配はそれきり現れなかった。
何もない。
しかし、油断は出来ないとウェールズは、敢えて視線を感じた方向に無言で、それでいて異常とも言えるくらい膨大な殺気を鋭く叩き付けて、何か動きがないかどうかを確認してからガーベラが待つ部屋の中に入り込んだ。
何も起こらないことを祈りながら…。
ささやかな酒宴は、思いの外盛り上がった。
二十数年の空白を埋めるように、私たちはお互いの近況を話し合っていた。
まずは、ドライグさんの疑問。
どうやって自分のことを突き止めたのか。
その疑問に答えるのに、私は笑顔で一枚の名刺を彼に差し出した。
「えへへ…。実はわたくし、こういう者でございまして〜♪」
「………後ルオゥム帝国……諜報部局長…!?」
「エグザクトリィ(その通り)でございます♪」
そう。
私は現在、後ルオゥム帝国の役人。
というか、かなり重大な要職に就いている。
ある程度は自分の我が侭が通る地位に就いているため、剣客として名高い彼・ウェールズ=ドライグを帝国に剣術指南役として召抱えるための身辺調査という名目の下、彼の足跡を調査し、現在はどこを拠点をしているのか等々を、職務にかこつけて追っていた。
部下からは、『史上最大規模のストーカー』だなんて囃し立てられたけど…。
「驚いたな。お前が……まさかあの帝国に…。」
「あ、ドライグさん。続きも読んでみてください♪」
「あ……ああ……諜報部局長………ガーベラ……ルオゥム…!?皇族だと!?」
目を丸くしてドライグさんは驚きの声を挙げた。
ああ、この驚いた顔が見たくて、彼を追いかけていたような気がする。
二十数年間捕まらなかったモヤモヤも、何度も名刺と私を見比べながら驚くドライグさんの面白い様を見ていると、どこかに吹き飛んでしまった。
「うん、私、今皇族なの。」
ついでに言えば、それに相応しい低からぬ爵位も持っている。
「ま、待て待て!いきなりだぞ。何でいきなり……お前が皇族なんだ…!?」
「えっと……話が長くなるんだけど…。お姉ちゃんが亡くなる前にね、私のことと……一応私の姪に当たる子を、ノエル義姉さんに託してくれていたの
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