第百七話・Scarlet love song@

深夜、神聖ルオゥム帝国帝都コクトゥの中心部にそびえる時計塔の針が、ガチリ、という重々しい音を軋ませて、午前3時を寝静まった帝都コクトゥに静かに刻む。
ひっそりと静まり返った帝都コクトゥ。
この時計塔が、この帝都のために時を刻むのは今宵が最後。
かつては帝国首都としておよそ26万人の民に安らぎを与えた城塞都市なのだが、これまで教主と仰いできたヴァルハリア教会の裏切りとも言える責任転嫁と、領地と権力を失い捲土重来計るフウム王国の連合軍が迫り、防衛機能などの問題点から新皇帝・紅龍雅の手によって、帝国南部の要塞都市オルテへの遷都の詔が発せられ、その役目を終えていこうとしている。
26万人いた民のうち、およそ19万人はすでに帝都を脱出していた。
これは帝国国務大臣グルジア=クラミス以下、先帝・ノエル=ルオゥムに反旗を翻した者たちの恐るべき手腕と、生き延びたいという強い本能の成せる大移民であったと言えるだろう。
夜が明ければ、残った7万人の民も新帝都への旅路に就く。
そのための英気を養うため、人々は深い眠りに就き、人寂しくなった帝都で長き思い出を抱き締めて、迫り来る不安な明日に、理不尽な暴力から逃げることで立ち向かおうとしている。
この静けさは、人々の不安と希望。
ある母親は我が子を抱き寄せ、その温もりに確かな今を感じ取り、
ある独身者は思い人の無事を祈りながら、眠れぬ夜に月に祈る。
そしてヒンジュルディン城の一室、ここにも眠れぬ者たちが、互いの不安を打ち消すように、地位も立場も忘れて、偽らざる姿で明日に、自分に立ち向かっていた。


「さぁ、ノエル様。何もございませんが…。」
「ア、アルフォンス!私がお茶くらい淹れると言ったではないか…!それに、私はもうそなたよりも地位が低い副帝、そなたは今後国母となる身だ。身重のそなたに任せてはおけん。そなたは座っていろ。お茶くらい私がうわち!?」
「ああ、余所見をなさいますから…!」
午前3時を回った、ヒンジュルディン城のある一室。
私は皇后アルフォンスの部屋を訪ねていた。
図々しい話だ。
明日の朝日が昇る頃には、他の諸侯や帝都の民たち、そしてアルフォンスを連れて、新帝都オルテへと旅立たねばならないというのに、私は漠然とした不安に駆られて、私の我が侭で同じように眠れず、アルフォンスに甘えるようにこうして居座って、深夜のお茶会などをやっている。
身重のアルフォンスをベッドに寝かせ、小さなテーブルを引き寄せると、私はテキパキとした手付きで、カップとささやかなお菓子を並べていく。
最初の火傷は、ご愛嬌だ。
「皇后様、お砂糖はいくつお入れしますか?」
冗談めかして訊ねてみると、アルフォンスは笑った。
「ふふふ、そうですね。では……1つだけ。」
「畏まりました。お菓子はクッキーしかございませんが、よろしいかな。」
そんな、ママゴトみたいなやり取りが暖かい。
私とて、誰かのためにお茶を淹れるなど、慣れたものではない。
だが、大事な戦友のために真心だけは忘れぬことを心掛けて丁寧に、丁寧に。
「では、皇后様。お待たせ致しました。」
「いつまでそれをなさるつもりですか?………はぁ、美味しい。」
カップを受け取って一口飲むと、幸せそうな溜息を吐いたアルフォンスは
「温まりますね。」
と微笑んでくれた。
砂漠の民によく見ることが出来ると言われる『褐色の宝石』のように輝く笑顔を向けられて、私は急に恥ずかしくなって淹れたばかりのお茶を一気に飲み干した。
「ノ、ノエル様…?」
「………ふぅ、……熱かった。」
舌がヒリヒリして、胸が焼ける思いをして飲み込む。
するとアルフォンスは、涙目になる私の様子が面白かったのか、声を上げて笑った。
そんな彼女の姿を見て、私はしみじみと喜びを噛み締めていた。
「初めてだね…。」
「えっ?」
「初めてだよ。そなたが、声を上げて笑ってくれた。」
そう言って、私も笑った。
嬉しかった。
「初めて……、私はそなたと友になれた気がするよ…。」
「あら、私はとっくにそうだと思っていましたけど?」
「………ありがとう、私は幸せ者だ。」
戦友ではなく、友へ。
アルフォンス、私は君たち夫婦に出会えて良かった。
君たちがいなければ、私は魔物というものを誤解したまま死んでいた。
君が笑ってくれて、心から喜んでいる私がいる。
君の宿した命を、心から祝福している私がいる。
祖父の死を穢されて以来、神を、教会を憎んできたが、この出会いだけは、神とやらに心から感謝してやっても良い。
そんな気がした。


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遷都に伴う荷造りなどの面倒を雑用将軍サイガに押し付けて、俺、紅龍雅はおよそ3日ぶりに自分の部屋で、執務から離れて寛いでいた。
どうせ明日になれば、この
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