史実に、アドライグたちの一団がどのようなルートを辿ったのかは残されていない。
しかし、彼女たちは生きようと必死だったことだけはわかる。
旧フウム王国残党軍に籍を置くキリア=ミーナが、自身の楽しみのためだけにアドライグの追跡を妨害していたことが、近年の研究で明らかとなってはいるものの、それを差し引いても残党軍に一度も捕捉されなかったアドライグ一行の退却は見事であると、歴史研究家や兵法研究家は口を揃える。
ただの素人である農民の群れを率いてアドライグは道なき道を行く。
推測ではムルアケ街道を真っ直ぐ行かず、敢えて追跡を逃れるために脇の雑木林に入り、そのまま道なき道を進んで山を越えたのではないかと言われている。
その道程は辛く、苦しいものであったであろう。
だが、彼女らは一人の脱落者も出さなかった。
そして月が変わって、3月7日。
アドライグはムルアケ街道を塞ぐようにふてぶてしく陣取り、この時点では神聖ルオゥム帝国皇帝であるノエル=ルオゥムの許可なく、着々と砦を要塞へと変貌させている学園都市セラエノ軍総帥・ロウガの下へと辿り着いた。
疲労困憊のアドライグは、そのままセラエノ軍の世話になることになる。
それが、彼女の無気力に近い人生を大きく修正していくのであった。
私はあの時、負けたのだろうな。
そんなことをぼんやりと考えながら、寝転がって空を眺めていた。
何に負けた?
キリア=ミーナに負けた。
自分に負けた。
それだけじゃない。
何に負けたのかすら、ハッキリと理解が出来ない。
ハッキリと理解は出来ないが、心の中のモヤモヤはずっと消えないままでいる。
セラエノ軍に保護されてから2日目。
情けないことに、今でも敗北感に苛まれている。
…………でだ。
ところで、何で私は寝転がっているんだろう。
…………思い出せない。
「……痛い。」
気が付けば、腹が痛い。
ズキズキと、まるで何かに殴られたかのように痛みが自己主張している。
右肘までズキズキする。
「……お、気が付いたかい?」
手にバケツを持ったリザードマンが私を見下ろしていた。
私の目線からバケツの中身は見えないのだが、彼女が歩いてきた振動でタプン、タプンという音を鳴らしているので、どうやら水が並々と溜まっているらしい。
「………アスティア、理事長?おはようございます?」
「理事長はやめてくれって言ったろ。今の私はロウガの妻、学園長夫人というだけなんだから。それにおはようの時間ではないね。君が気絶してから、もう3時間も経っている。すっかり、昼だ。」
この方は、学園都市セラエノの二大統治者の一人でアスティア理事長。
もっとも、この時代のセラエノでは理事長という地位は存在せず、私の時代ではロウガ王……いや、ロウガ学園長が最高責任者で最高権力者だから、アスティア理事長を理事長と呼ぶのも変な話である。
もっとも、元の時代では私はアスティア理事長と会話をしたことがない。
理事長として多忙を極める彼女なのだが、それ以上に剣を取る者たちにとってはまさに伝説と呼ぶに相応しい存在で、気軽に声を掛けるなんて恐れ多くて、学園都市に留学していた数年間、一度も接触はなかった。
そして色々込み合った事情があり、私はロウガ王とアスティア理事長にだけは、自分の事情、私がこの時代ではなく、20年後の世界から迷い込んでしまったらしいことを話したのだが……、話したというか話さざるを得なかったというか。
いや、あれは最悪な脅しだったというか…。
それは良いとして、私が気絶?
一体何の話……………あ。
「思い出しました。」
『おう、そのツラ見ると、まだまだ負けたの引き摺ってんな。』
ロウガ王に挑発されて、手合わせをすることになったんだっけ…。
「久々にロウガが楽しそうな顔をしていたよ。君が無事だというところを見ると、あいつも手加減をしたんだね。あいつが本気で、鎧通しをやったなら…、今頃君はこんなところではなく、傷病兵と一緒に軍医の世話になっているか、土の中でずっと眠り続けていただろうね。」
冗談抜きに、とアスティア理事長は笑って物騒なことを言った。
それこそ、冗談じゃない。
元の時代に帰る前に死んでたまるか!
身体を動かせば、心を覆う靄も晴れるかもしれないと思って、私は敢えて見え透いた挑発に乗って、ロウガ王の提案した戦闘訓練を受けることにした。
私はロウガ王に借りた木剣。
対してロウガ王は、あろうことか素手。
それも右腕が使えぬからと、私を相手に左腕だけで相手をすると言った。
人間である義母に育てられた私には、あまりリザードマンである自覚がない。
でも、自分の身体が持つ身体能力の高さだけは自覚していた。
最初は私を侮辱していると思っていた。
老齢だと言っていたが、その思い上がりにお灸を据える必要があると武器を構えたのだ
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