刃が空を切り、空を斬る音が二人の神経を削っていく。
アドライグの頬をキリアの短剣が掠り、彼女の頬に一筋の赤い線が疾る。
痛みはあった。
想像以上に深く斬られたために、一筋の赤い線からはアドライグの身のこなしに合わせて、色鮮やかな血が吹き出て空中にその跡を残した。
「はぁぁぁぁ!!」
「………シッ!」
だが、彼女はさらに前に踏み込む。
このギリギリの緊張感の中で生まれた、悪くない、という感情に導かれるままに、痛みに引くこともなく、鋭い踏み込みから繰り出される槍の一撃は、神速を誇るキリアを後一歩で捉えるところまで追い詰める。
キリアも当初浮かべていた余裕の笑顔を凍らせて、冷たく寒々しい表情を彼女はこの時初めて露わにして、殺気と緊張感の漲った目線をアドライグに向けた。
そしてキリアはアドライグとこうして斬り結んで、自分に圧倒的な有利がないことを悟ると、自分自身の持ち味を最大限に生かすべく、バックステップで避けながら距離を取る。
キリアの脚力によるバックステップで、アドライグとの距離は十分に開いた。
直感的にキリアが本気を出して来る、と薄ら寒い殺気を肌で感じたアドライグは左手に防御の剣を、右手には迎撃の槍を構える。
アドライグは理解していた。
自分の速度は、キリアに遠く及ばない。
しかしキリアの攻撃が交差する刹那の瞬間であるならば…とアドライグは腹を括り、乾坤一擲の一撃を繰り出すべく、脚を大きく広げ、腰を落とし、さらに尻尾を土台として踏ん張り、弓を引くように身体を捻って力を溜め込んだ。
キリアのスピードは凄まじいが、それは獣のような直線的な動きで、修練などではなく、天賦の才のみによって支えられた速度であることを感じ取ったアドライグは、迎撃の構えを整えた。
キリアは速度はあっても、体重は軽く、また非力な部類に入る。
それならタイミングさえ間違えなければ…、とアドライグの意識は細く鋭く、針の先のように研ぎ澄まされ、あらゆる雑音が彼女の耳から消え失せ、自身の心臓の鼓動、身体を流れる血液の流れ、爆発の時を待ち侘びる筋肉と関節の悲鳴しか感じなくなっていった。
だが、アドライグの乾坤一擲の一撃は放たれることはなかった。
「……………はぁ、やめたやめた。」
何を思ったのか、キリアは急に構えを解いて、二振りの短剣を鞘へ納めたのである。
その表情はとても残念そうで、声にも先程までの薄ら寒いものはない。
むしろ暖かく、17歳の少女らしい声だったと言えるだろう。
「………何故、来ない。」
「あー………聞こえない?」
キリアが親指で方向を指し示す。
アドライグは集中し切った意識を、徐々に解いていくと大勢の気配をやっと感じ取った。
それはキリアを追いかけて進軍するフウム王国残党軍だと気が付くのに、そう時間はかからなかった。
「もう良いよ、行きな。」
キリアは酷くつまらなそうにため息を吐くと、顎で村人たちが逃げた方向を指し示す。
「何故、見逃すんですか…。」
「あたしが楽しめないからさ。」
キリアは、やれやれと困ったような顔で言った。
「あたしは殺すのが好きさね。セックスしてる時よりも、酒を飲んで気持ち良くなっている時よりも、何よりも人を殺している瞬間が好きなのさ。でもね、それがあんな雑魚どもと一緒に寄って集って殺るのは趣味じゃないんだよ。」
その言葉は、アドライグにとって渡りに船だった。
キリア一人にこれだけの苦戦を強いられているというのに、これに残党軍本隊が加わればどれだけの危険があるだろうか。
とてもではないが、対処し切れない。
彼女だけでなく、彼女を頼った村人たちも、哀れ悲しきかな。
哀れなるかな冷たい鉄の牙で餌食なる。
それを思うと、アドライグは内心ホッと胸を撫で下ろしていた。
だが冷静な状況分析で自分と村人たちの安全が保障され、自らも無事にこの場を撤退出来ると安堵した反面で、彼女の中に納得のいかない大きな屈辱とも言える感情が芽生えていた。
見逃すと提案したキリアにではない。
ホッとしてしまった『自分』に対して彼女はひどい怒りを覚えた。
ギリッと噛み締める奥歯の音。
剣を握る手に力が入って、彼女は感情に任せて剣を地面に叩き付けた。
叩き付けられた剣は、キィン…、という綺麗な音を立てて真っ二つに割れた。
「……あんたも残念なんだね。…まったく、うちの野郎どもはどこまでも無粋なんだか。せっかく心も濡れるような上等な睦み合いだったってのに、どこまでも邪魔をするよ。」
「あなたと……一緒にするな…!」
自分は違う。
自分は殺人を楽しんでいない、とアドライグは否定する。
「一緒さ。」
「違う!」
「………まぁ、今日童貞捨てたばかりのお嬢さんには、まだまだ自分がわからないだろうね。楽しそうだったし、あたしも楽しかった。ギリギリのところで神経削られるような瞬間を思い
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