第百四話・御剣

「よう、景気はどうだい?」
と、色々と知っているクセに、ヘンリーが苦笑いしながら訊ねる
「良くはないね。」
と、積み上げられた兵法書の山と、膨大な部隊の編成表や兵糧などを記録した書類の山を掻き分けて、サイガが疲れ切った顔で答える。
ルオゥム戦役末期、帝都コクトゥの城壁内部に敷かれた神聖ルオゥム帝国・学園都市セラエノ同盟軍本陣の帷幕の中でよく見られた光景である。
この頃、紅龍雅の皇帝即位、それに伴い龍雅の副将であったアルフォンスが正式に彼の妻、そして皇后になってしまったために、それまで副将補佐という地位であったサイガは、先帝ノエルの薦めもあり、この度正式に『兵安侯』という新たに設けられた位に奉じられると、そのついでで『同盟軍大将軍』にも奉じられることになった。
他にも功ある者たちがいたのだが、セラエノ勢が軒並み公職に就かなかった中でほぼ唯一、正式な位に奉じられて公職に就いたのはサイガだけである。
紅龍雅即位以降、彼が『将軍』、『大将軍』と呼ばれることとなるのだが、皮肉なことに兵安侯とは『兵たちを安んじる』ための役職であり、彼の仕事は同盟軍全体の『兵糧管理』、間に合うかわからなくとも近隣地域への『募兵活動』、遷都を布告し、様々な政務に追われることとなった紅帝の代わりに『部隊編成』などなど、他にも職務とは一切関係のない数限りない雑用を押し付けられることになったため、後世において、彼は自身の名前よりも『雑用将軍』と不名誉な仇名が有名になるのである。
この日も彼はやっと作った休息の時間も、対ヴァルハリア・旧フウム王国連合軍への対抗策を練るために紅龍雅が注釈や解説を書き込んだ、後に『紅操兵書』と呼ばれる兵法書を読み続けていた。
今やサイガはただ馬を走らせて、戦場で槍を振り回すだけの武辺者でいることが許される立場ではなく、自ら策を立案し、如何に犠牲を少なく難局を乗り切るかを考え続けなければならないのである。
すでに2日まともに寝ておらず、彼は紅龍雅の苦労を思い知らされていた。
「大変そうだな。奥さんが恋しいだろ?」
ヘンリー=ガルドが笑いながら、サイガの帷幕にズカズカと入ってきた。
クスコ川防衛線の頃から、彼らの付き合いは深く、龍雅は事務的なことや商人との交渉事のすべてを、自らは事後に承認するのみでサイガに一任してきた。
これにはセラエノ学園でロウガの下で扱き使われた経験が大いに役立ったとされるのだが、その経験を見事に使い切ったのは紅龍雅の人事の妙であろう。
「あ……何だ、ガルドのおっさんか…。あの色ボケクソ皇帝がノコノコ俺の前に顔を出しに来たんなら、ボロクソに文句でも言ってやりたかったんだけどな。で、今日は何の用?」
眠くても眠る暇もないくらいに学ばなければならないサイガは龍雅への恨み言を口にした。
そこには尊敬も忠誠も、その欠片も感じられない。
「そういう口叩けるなら大丈夫だな。用ったって、いつもの通りさ。お前さんに武具と兵糧その他諸々の消耗品などなど、いつもに通りリストと請求書を持って来たんだよ。」
「あー…、そりゃー助かるわー。」
悪いけどコーヒーを淹れてくれ、とサイガは控えていた部下に頼む。
彼の部下はセラエノの者ではなく、帝国軍の少年兵である。
「ひゅ〜♪」
出て行く少年兵を後ろ姿を見ながら、ヘンリーは口笛を吹く。
「何だよ、あんた少年趣味があったっけ?」
「趣味って訳じゃないが、時々うちは男娼も扱うんでね。そっちの趣味の男連中が見たら是非相手をしてほしいって涎を垂らしそうだなと思ったのさ。」
ヘンリーの言葉を聞いて、サイガは溜息を吐いた。
「あれはうちのセンコーの趣味だよ。」
センコーとは同盟軍軍師であるイチゴのことである。
程なくして、サイガの部下の少年はコーヒーを二つ持って現れた。
歳の頃は十二、三歳程なのだが、余程優秀な少年なのだろう。
ヘンリーに出すコーヒーは、客人用の飲みやすいコーヒー。
眠気を覚ましたいサイガに出すコーヒーは、ゼリーのようにドロリとしたコーヒーである。
少年兵が退出の礼をして席を外すと、運ばれてきたコーヒーに口を付けながら、サイガはしばしヘンリーといつものように談笑しながら伝票に目を通す。
「また食料の値段が上がったんじゃないのか?」
「そう言うなよ…。それでもかなり安くしてやってんだぞ。教会派国家は軒並み不作続きでな、食料価格は高騰してて、安定して収穫が出来てる半反魔物国家のコベルノスチアでも食料自給率は大きく落ちてんだ。」
ヘンリー=ガルドの情報は貴重だ、とサイガは理解している。
だからこそ、彼はどんな憎まれ口を叩いても、ヘンリーを大事に扱っている。
「なるほどな……、ずっと疑問だったんだ。何で周辺の教会派国家が攻め込んで来なかったのか…。なるほどね、兵糧を確保出来ないんじゃ軍を維持出来ず……、
[3]次へ
ページ移動[1 2 3 4 5]
[7]TOP [9]目次
[0]投票 [*]感想[#]メール登録
まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33