「忘れ物は……ない訳じゃないか。」
翼のない鳥、やたら家畜として流布している丸鳥ことガーグァの引く荷車に荷物を乗せる姉は、残念そうに俺に振り返った。
「ずっとこの村にいれば良いのにさ。金も……素材も…、地位も名誉もあんたはこれからもっと苦労をしないで良いようになっていくってのに、何で急に名前も知らない辺境の村に行くってんだよ。」
俺の荷物は、風呂敷に包んだ、水と食料。
そして僅かな金。
この荷台に乗せるもっとも大きな荷物は俺だけだ。
「いらねえよ…。」
「………そっか。あんたらしいね。」
何もいらない。
地位も、名誉も……、何もかも。
俺に必要なものは…。
俺が必要とするものは…。
「どうする?あんたの愛用の武具は…。」
「処分、しておいてくれるか?」
「売っちまうのはもったいないね。せっかくのG級装備だもの。おいそれと手を出せる代物でもないし、あたしが子供産んで、男の子だったら鍛えに鍛えて叔父さんの使ってたものだって上げちまおうかな。」
あはは、と笑う姉。
普段、そんなことを言う人じゃないのに、今日はやけに口数が多い。
この人はこの人なりに、俺との別れを惜しんでいるようだ。
「姉さんと釣り合う男、いると良いな。」
「いるさ、この世界は広いんだもの。」
自慢の姉。
目標とする姉。
そんな姉に守られてきた自分。
俺は、そんな自分との決別をすべく旅立つ。
「じゃあ…………、俺、もう行くよ。」
荷台に俺は飛び乗った。
背中に背負った太刀に結んだ鈴が、チリリと鳴る。
ある意味で、この荷物だけが俺の本当の荷物。
姉さんがくれたお守りの鈴。
「ああ、今度会う時は。」
「ああ、今度会う時は。」
お互いにその先は言わない。
今度会う時は、どこかの狩場で。
今度会う時は、姉さんが見違える程の狩人になって…。
御者のワーキャットアイルーがガーグァにパシンと鞭を入れると、ゆっくりとガーグァの荷馬車が動き出す。
「狼牙!!」
「姉さん!さようなら、姉さん!!」
もしかしたら、二度と会えないかもしれない。
俺たちハンターはいつだって、また、とは言わない。
いつだって一期一会…。
例え姉弟であっても、それは変わらないんだ。
ガーグァの荷馬車がグングンと加速して、手を振り続ける姉さんの姿が見えなくなって、風の冷たさに俺は思わず、荷台に積んでいる毛布を掴むと身体に巻き付けて曇った雪空を見上げていた。
「子供の頃……、姉さんが抱き締めてくれていたっけ…。」
口にすれば寂しい。
そんな寂しさを乗せて、ガーグァの荷馬車は雪深いポッケ村を駆け抜け、深い渓谷の小さな村、ユクモ村へとまるで俺の未練を断つように俺を乗せて突き進む。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
ゴトン、という音がして目が覚めた。
見回せば荷物が満載の荷車。
どうやら俺は居眠りしていたらしい。
だから……、一昨日の別れ際のことを思い出したのか。
「もうすぐユクモ村に着きますにゃー。」
ガーグァに荷馬車を操るワーキャットアイルーが振り向かずに声をかけた。
顔を上げると、目の前一杯に広がる渓谷の絶景。
薄い靄が山々にかかり、雲の切れ間からは幻想的な光が差している。
「良い風景ですにゃ。ここを通る時はいつもこんな風景が……にゃ?」
ぽつん、とワーキャットアイルーの鼻に雨粒が落ちる。
俺の三度笠にもその振動が伝わったと思った次の瞬間。
まるでバケツをひっくり返したかのような、激しい雨が俺たちに叩き付けられた。
「にゃにゃにゃ!?急にこんな雨なんか聞いてなかったにゃー!?お客さん、ちょっと飛ばしますから、しっかり掴まっているにゃー!!!アタシの本気はちょっとだけ狂暴だにゃ!!」
そう言ってワーキャットアイルーがムチを強く振るうと、驚いたガーグァがバチャバチャと音を立てて、速く激しく泥の上を駆け抜ける。
山の傾斜は、まるで川のよう。
今降り始めたばかりだというのに、天の水をひっくり返された山は、上から滝のように泥を含んだ水が下りてきている。
「やれやれ……、感傷に浸らせてもくれないのか…。」
天に愚痴ったところで何も変わりはしない。
姉さんといつも一緒だったから、感じたことはなかったけど…。
一人というのは、こんなにも不安だったんだ…。
雨のせいで悪くなった道を疾走するガーグァの荷馬車の上で、慣れたとは言え少々不快な振動を尻の下で感じながら、俺はこれまで傍にいてくれた姉への感謝と、これからのたった一人での日々への不安を噛み締めるように、ただ一寸先も見えない激しい雨を見詰めていた。
雷が轟き、稲光が道を照らす。
ワーキャットアイルーの操るガーグァ荷馬車は、ひたすら渓谷の山道を突き進む。
彼女は本来無口な娘ではない。
だが、この時ばかりは違っていた。
急がないといけない。
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