第九十九話・紅蓮の救世主【メシア】前編

時代が流れる瞬間は唐突だ。
それは時に絡み付いた乱麻の如くもどかしく、
時に物語の如く痛快に、激しく動き出す。


城壁を前にして龍雅は考える。
何度目の城攻めだったか。
何度目の戦だったか。
何度目の敗戦だったか。
浮かんでは消えていく思い出に、彼はふっ、と笑いを漏らす。
これから大事な瞬間を迎えるのだというのに、龍雅の心は大空を舞う鳥の如く軽やかに、そして長く戦場を枕にした人生において、かつてない高揚感を味わっていた。
「悪くない…。」
幾度もの敗戦を越えて生き残った結果、故郷を捨て、彼の憧れと同じ世界に足を踏み入れ、追いかけ続けたその旗を掲げて、新たな仲間と愛しい人と共に戦場を駆け抜ける喜び。
さらに皇帝を奉戴して、存分に軍略を巡らし、自らの太刀で敵を打ち倒す。
その喜びを、彼は悪くないという一言に集約していた。
「悪いはずはあるまい。」
先頭を征くノエル帝は、微笑を浮かべて僅かに龍雅に振り向いた。
「美女を二人も侍らせているのに、悪くないでは無礼であろう?」
「へ、陛下…。」
ノエル帝はまるでからかうようにニヤリと笑うと、龍雅の横で馬を並べるリザードマンのアルフォンスは、美女と言われて赤くなって俯いてしまった。
確実にノエル帝は、セラエノ軍ひいては軍師であるバフォメットのイチゴの悪影響に染まりつつあるのだが、そんな彼女とアルフォンスの様子を龍雅は楽しそうに眺めていた。
よく笑うようになった、と龍雅は兜を深く被るとコッソリ頬を緩める。
アルフォンスとノエル帝の華やかな女性らしいやり取りをする光景。
初めて出会った頃のような張り詰めた人生ではなく、出来ることなら、まだ未来ある彼女たちには、いつまでもこの笑顔のままで在り続けて欲しいと、彼は願った。
「さて、紅将軍。余はそなたの言う通りに軍を動かしたぞ。我が帝都を取り囲み、猫の子一匹通さぬようにしたぞ。さぁ、策を申せ。我が帝都を奪い返す起死回生の策を。」
ノエル帝の言葉に龍雅は頷いた。
布陣とも呼べぬ布陣、龍雅の指示でただ帝国軍とセラエノ軍全軍で帝都を取り囲むという行動に、ノエル帝は何の疑いもなく従った。
リヒャルト老人などは奪い返すというのだから、全軍を以って攻撃に移るものと思い込んで息巻いていただけに、取り囲んだだけの龍雅の指揮には懐疑的ではあったが、これまで幾度も帝国軍の危機を策で救ってきた龍雅の言葉をノエル帝は完全に信用していたのであった。
次はどうすれば良い。
次は何をすれば良い、とまるで子供のように楽しそうな目で、ノエル帝は物語の続きをせがむ。
「ではノエル、全軍をこのまま待機させよ。」
「やはり動かさぬのか?」
ああ、と龍雅は短く答えると帝国の皇帝旗を手に取った。
「城壁の向こうに残る連中に見せてやれ。お前の無事な姿を。お前の言葉を届けてやれ。さすれば、もはや策など策に非ず。お前の言葉通りなら、彼らは勝手に踊り、勝手に俺の書いた脚本通りに動き、お前の下へ平伏す。さあ、行くぞ。この舞台には大軍で攻めるなど無粋にして愚の骨頂。役者はお前と俺とアルフォンスだけで十分だ。」


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「おい……、あれ…、陛下じゃないのか!?」
城壁を守る兵士たちは口々に言う。
城壁から落ちそうになる程、身を乗り出してその姿を見ようとする者。
望遠鏡を取り出して、その姿を確認しようとする者。
城壁に近付くのは死んだはずの皇帝だという噂は城壁内部に広がり、様々な方法でその姿を一目見ようと、兵士も民も関係なく城壁に集った。
中には我慢出来ず、帝都を抜け出し、近付いてくる姿に駆け寄る者の姿もあった。
人々が一目見ようとした姿は、帝都コクトゥを取り囲む同胞たちの中から、堂々と正面からゆったりとした気品ある動作で白馬に跨りやって来る。
純白の軍服、波打つ長い金髪が風に靡く姿は神話の中の女神の如く。
皇帝旗を持つ男は、真紅の鎧を纏う東方の武人。
皇帝を守護するのは、赤い鱗のリザードマン。
たった3機の騎兵に、城兵たちは釘付けとなった。
「陛下だ…。陛下はあそこに生きておわすぞ!!」
やがて、誰ともなしに口々にノエル帝生還を喜ぶ声を上げた。
静まり返った城兵たちは、瞬く間に歓声を上げ、ノエル帝の無事を祝った。
誰もが諦めていた皇帝討ち死の報が覆された。
だが、それは一部の人間にとって最悪な事態であることを自覚せずにはいられなかった。
皇帝討ち死を理由に宮廷を制圧した教会派の貴族たちである。
彼らはこの歓声の中で、帝国軍が帝都を包囲するや否やすぐに宮廷の一室に立て籠もり、軍議と証した責任の擦り付け合いと卑屈な机上の空論を披露し合っていた。
皇族を人質に取って、徹底抗戦を訴えるべきか。
それとも帝都を捨てて、ヴァルハリア・旧フウム王国連合軍
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