第九十話・死闘

「紅将軍、佞言で私を誑かさないでいただきたい。」
そう言ってヒロ=ハイルは馬を後退させる。
それは撤退のためではなく、騎兵の威力を最大に発揮するために距離を開けたのである。
彼の長剣を持つ従者も邪魔にならぬようにと、ヒロのさらに後方へと下がる。
ヒロはしっかりとランスを脇に構え、身体を隠すように盾を構える。
それを見て、紅龍雅も大太刀を構え直した。
「私の本質が王?それは思い違いも良いところです。私は生まれ貧しく、騎士に取り立てていただいただけでも十分報われた人生なのです。王権は神が与えしもの。貧民上がりの私が王などと世迷言も甚だしい!」
それは龍雅へではなく、まるで自分に言い聞かせるようにヒロは言った。
そんなヒロに龍雅は静かに語った。
「平民、貧民上がりの王など、数知れずいるぞ。それどころか唐土…、というのは知るまいな。とにかく東の国には長きに渡る王朝の礎を築いた平民上がりの皇帝がいた。王権が神に与えられるなど思い上がりだ。王とは与えられるものではなく成るもの。事実、セラエノを治める男は王に成ったぞ。本人は望んでいなかったが、民衆があいつを王に押し上げた。それは神などではないぞ。王とはな、生き様だ。一人の人間の生きた様々な証の内の一つだ。」
「だ…、だからと言って私に王の器など…!」
「否定するか。それでも良し。王の器、為政者たる才覚を認めるには時間がかかろうよ。だが忘れるな。お前の志は騎士のそれに非ず。民を守り、義と仁を以って友や部下に報いるは騎士の役目ではない。『報いてもらう』のが仕えるものの心得ぞ。『報いる』というのは為政者のそれだ。考えろ、ヒロ=ハイル。お前は民を虐げ、都合の良い神の正義を騙る王や為政者に自らの運命を委ねたいのか。考えることを否定する神など忘却の彼方へと追いやり、自らをより深く考え、お前という魂の器を感じろ。」
「……………………。」
無言。
ヒロ=ハイルは、再び無言で槍を構えた。
表情にはいくらか動揺が浮かんではいるものの、揺るぎない決意がある。
最早、問答無用。
ヒロの表情がそう語っているのを感じ取った龍雅は非礼を詫びた。
「………すまなかったな。この一騎討ちに際し、お前の気勢を挫くのが目的ではなかったのだが、どうやら水を差してしまったようだな。若くて有望な者を見付けると嬉しくてな。つい、迷っていると道を指し示したくなる。」
教師なんか似合わないことをやってたあいつの影響だな、と龍雅は笑いを零す。
「さぁ、参られよ。我が大太刀にて、おことの武を受け止めん。」
「いざ!」
ヒロが馬の腹を蹴る。
重装備の馬鎧の重量の加わった馬は、速さこそ抑えられているものの地響きのような震動と重々しい蹄の音だけで敵対するものを威嚇、圧倒するのに十分であった。
龍雅も馬の腹を蹴る。
リトル=アロンダイトの時のように相手を待つことなくヒロに向かって走る。
ランスを槍のような使い方をするものと睨んだ龍雅は、敢えて前に出た。
ヒロの馬が最高速度に達する前に距離を縮めなければ、ヒロの技術と武力であれば最高威力のランスチャージを防ぎ切れずに貫かれていただろう。
龍雅は馬上で大太刀を振り被る。
ヒロはランスの切っ先を龍雅の首へと狙いを付けた。
距離は凄まじい速さで詰まっていく。
土煙を上げて、互いの馬は力の限り駆け抜ける。

そして、最初の攻撃を繰り出したのは
リーチの長いランスを持つヒロ=ハイルの方だった。
龍雅の大太刀は届くことなく、兜の吹返をヒロ=ハイルのランスが貫いた。
帝国、そして連合軍の記した史記にはそう残されている。


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史記曰く。
その一騎討ちは熾烈を極めたという。
紅龍雅は兜の吹返を貫かれ、冷たい金属の柱が顔のすぐ横を貫通し、凄まじい衝撃を受けていたというのに、戦いに血湧き肉踊る境地に至った彼は構わずに馬を加速した。
ヒロ=ハイルは機先を制したにも関わらず、まったく怯まない龍雅に驚き、龍雅の兜の吹返を貫いたランスを素早く引いた。
もしも貫いたままであったなら、ヒロは龍雅の大太刀によって一刀両断されていただろう。
龍雅は、馬の足を緩めることなく自らの間合いへと侵入する。
ヒロは止む無く引き抜いたランスで応戦するしかなかった。
ランスは切っ先以外に切れ味を持たない。
突く以外の機能を持たない。
接近戦に持ち込まれたら圧倒的不利になるのがランスであった。
だが、ヒロは討ち取られなかった。
龍雅の大太刀をカイトシールドで防ぎ、切っ先以外に切れ味のないランスを鋭く横薙ぎに振り、彼のランスが持つ重量と硬さを武器にして龍雅と打ち合った。
さながら、それは長大な鈍器である。
その細身の身体のどこに、ランスを自由に振り回す筋力があったのかと思う程、ヒロはランスを片手で振り回
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