第七十九話・クスコ川防衛ライン@

「龍雅、準備が出来た。」
「…ギリギリ間に合ったな。」
ルオゥム帝国軍の本陣から4里西へ、クスコ川の上流に仮設したテントの中で紅龍雅は、ノエル帝からもらった周辺の地図を見ながら、アルフォンスから作業終了の報告を聞いた。
無事、川の塞き止めが終わった。
「伝令は出したか?」
「ええ、もちろん。アキたちにはすでに対岸に渡って、合図があり次第打って出れるようにしています。ダオラ様や双子将軍には帝国軍本陣にて、我々の連れてきた傭兵の残り2000人を指揮していただき、帝国軍と共同戦線を張り、防衛に努めていただく手はずです。」
「……助かる。」
龍雅は地図と地形を交互に見比べながら、一睡もせずに朝を迎えた。
彼にしてみれば何度目の戦かもわからないが、彼の指揮下に入る者たちにとっては初陣。
彼は一人でも多く生き残らせたいと考え、絶えず思案を続けていた。
「……た、龍雅。少し休んだらどうですか。」
「心配してくれるのか。でも安心してくれ、こんなことは慣れっこだよ。俺が沢木を裏切ってから、新生丸蝶を作り上げた時もこんなものだった。」
「ロウガ様を裏切った…!?」
しまった、という顔をした龍雅だったが、すまなそうにアルフォンスに向き合う。
「……昔の話だよ。俺の国では御家を残すために多くの血縁を残すものでな、領主に滅ぼされそうだった沢木の血筋を残すために、俺たち紅家は沢木家を見限った。あの蝶の旗印も、元々はあいつが若い頃に率いていた組織の旗印だったものさ。アルフォンス、お前は裏切り者が自分の連れ合いでは…、嫌か?」
「……………いえ。それを言うなら私も裏切り者。私も砂漠のオアシス都市で今日を生きるために種族の誇りを捨て、力なき人々を守ってやれませんでした。あなたが自らを裏切り者だと仰るのでしたら、それで結構。お互い誇りに目を背け、後ろ暗い過去を持つ者同士。釣り合いが取れていると思いますよ。」
そっとアルフォンスは龍雅の手を握る。
龍雅は目を伏せ、彼女に感謝した。
「お前は……、やさしいな。」
「あなたこそ、兵卒を一人でも生き残らせようと策を考える将なんて大陸では聞いたことがありませんよ。」
「それはこの大陸の戦自体おかしいんだ。大体戦を知る物は誰でも理解している。戦を動かすのは一握りの将でも、実際に戦を決めるのは兵卒の群れだ。この大陸はあまりに兵卒を消耗品のように扱いすぎる。だから傭兵として金で命を買ったというのに、誰も彼もが湯水のように使い捨てる。それではいくら兵がいても足りない。」
龍雅は双眼鏡を取り出すと、遠くに見えるヴァルハリア・旧フウム王国連合軍の広大に広がった陣を観察する。
雨が上がり、龍雅たちによって川が治まり始めたと知らずに、慌しく渡航準備をしている連合軍を見て、龍雅は毒付いた。
「あれが、兵と言えるか。具足の手入れもせず、血糊で汚れたまま戦に臨む。連中、神様の尖兵だと信じているらしいが、あれじゃあ地獄の悪鬼と変わりない。俺の故郷で知り合った稲荷様の方が余程神々しかった。」
見てみろ、と龍雅はアルフォンスに双眼鏡を渡す。
「……………酷い。血の臭いがここまで臭ってきそう。」
「皇帝に聞いたが、あれで宗教国の兵らしい。故郷にも僧兵というものがいたが、連中の方がもっと小奇麗にしていたぜ。」
あんなやつらと戦わなきゃならんとは、と龍雅は溜息を付く。
「みんなは?」
「……作業が終わって、そのまま泥のように寝ています。」
「よし、しばらく寝かせてやってくれ。俺たちの出番は、この川の堰を切った後なんだからな。」
うまくいくでしょうか、とアルフォンスは不安そうに尋ねた。
「…うまくいくとは?」
「あの川を利用して……、あれだけの数を押し流せるかどうか…。」
龍雅は不安そうなアルフォンスに笑いかけて、無理だと言った。
「あれだけの数を押し流す、なんていうのは……、お前さんの妹の好きな芝居や物語の世界だけだよ。うまく行って二千か三千……、まぁいくらでも良いんだ。俺たちがこの川に陣取っている間は、何度でもそんな手痛い打撃を受けることになると連中に思い込ませることが大事なんだよ。この策はそういう策なんだ…っと、そうだ。内通者からは何か連絡があったか?」
「ええ、つい先程。軍師様もそれと同じくして本陣へ戻られました。」
アルフォンスの下へクロコがハインケルの手紙を持参してきた。
兵卒をどう動かすか、将兵をどう動かすか、そして寝返りそうな可能性のある兵はどこに配置されているかという内容の手紙だったが、最後に『健闘を祈る』という彼らしからぬ気遣いの一言が添えられていた。
その手紙を龍雅はアルフォンスから渡され、読み終えるとフッと苦笑いをした。
「なるほどね。内通者殿はご存知のようだ。」
セラエノ軍のほとんどが初陣の者たちであること。
傭兵頼みの軍であること
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