町で彼女を見かけた時から俺は虜になっていたのかもしれない。
何故ならその日以降、俺は彼女に会いたくて、彼女と擦れ違った場所、同じ時間に彼女を探して町に出るようになっていた。
会ってどうする、会って何を話すつもりなのか、そんなことを考えたこともあったが、それでも俺は彼女にもう一度会いたかった。
病気だと思った。
何の理由もなく彼女を探す。
そんな日々が何日も続いただろうか。
俺は疲れていた。
そして誘われるように入った一軒のバーで飲んでいた時、俺は探し続けていた彼女に声をかけられた。
「隣……、良い?」
客は俺一人。
ただカウンターの奥で長い狐色の髪の女のバーテンダーが静かにグラスを磨いているだけ。
断れる訳がなかった。
「どうぞ…。」
そんな気の利かない言葉しか出なかった。
女なんて何人も付き合ってきた。
女の扱いなんて心得たもの、ずっとそう思っていた。
でも、違ったんだ。
俺は本当の女に出会ったことがなかったんだと実感した。
「ありがとう。」
日本人じゃないのは一目見てわかる程、透き通るような白い肌。
銀色の髪が、まるで上等な絹のように揺れる。
赤いコートに黒いレザーパンツ。
ピンヒールのブーツで足を組んで座る彼女は、ただそれだけで絵になった。
そんな彼女がやわらかく微笑んだだけで、俺は完全に堕ちていた。
彼女の前にスッと、白ワインの入ったワイングラスが置かれた。
「お久し振りですね。いつ、日本に?」
どうやらこのバーテンダーと彼女は旧知の仲らしい。
「そうね、10日くらい前だったかな。」
それは俺が彼女を初めて見かけた日。
彼女は出された白ワインを上品な手付きで口に運ぶ。
ワインで潤った唇が、艶かしかった。
「…な、何で俺の隣なんかに…。」
「………何でというかな。君は私を探していたんだろう?」
「…え。」
どうして、知っているんだ。
誰にも言わずに、誰にも頼らず彼女を探していたのに…。
「知る方法なんていくらでもあるよ。単刀直入に聞くけど、私に何か用があるのかい?」
「用なんて……。」
なかった。
情けないことに本当になかった。
いくら考えても言い訳にもならないくらいに何もなかった。
「……俺は、ただあなたに会いたかった。それだけです。」
「本当に?」
俺はただ、頷いた。
「会って、何か話そうとか考えていた。でも何を話して良いのかわからなかった。今まで女の子の喜びそうなトークとか、そんなので適当に女の子と遊んできた俺だけど……。あなたと擦れ違って、それが全部崩れてしまった。」
「……見た目はなかなかの無頼漢だが、意外にロマンチストなんだね。君は一目惚れなんか信じているのかい?」
「信じているとか信じていないとか、もうそんなレベルじゃない。現に俺はあなたを探し続けて、同じ時間で同じ場所を何度も……。」
「探していたね…。そうだ、12月27日午後8時37分56秒に出会ったのは、確かに君だったね。私が日本に着いて夕食を食べた直後、繁華街で確かに君と擦れ違ったのを覚えているよ。」
「な、何でそんなに細かく…!?」
「覚えているさ。永遠に近い長い時間を生きる者は時間を蔑ろにしがちだが、永遠に近い時間だからこそその一瞬一瞬を常に心に刻むべきだと私は思っている。そうすれば永遠は退屈な時間の牢獄ではなくなる…。」
彼女が何を言わんとしているのかわからない。
俺の思案に気が付いたのか、彼女は頭を下げた。
「すまない、君に愚痴っても仕方がない話だったね。忘れてくれても構わない。そういえば、君の名前を聞いていなかったね。私は、アルトシュバイン。アルト、と呼んでくれ。」
「俺は……、九十九。大河原九十九。」
「では、ツクモ。」
アルトが俺の顎を指で持ち上げて、甘い声で囁いた。
「君がずっと捜し求めていた私のことが知りたかったら、ステーションホテル最上階のスイートルームに来なさい。そこで私は君に問い掛けをしよう。もしもその問い掛けに、私の願いに応える勇気があるのならいらっしゃい。夜が明けるまで、待っててあげよう…。」
彼女の目から、俺は目を離せなくなっていた。
何か答えなければと思っても、口が、舌がまったく言うことを聞いてくれない。
「待っている。では宗近、また寄らせてもらう。」
「はい、その時はまた香牙と一緒に飲み明かしましょう。」
そう言ってアルトは店を後にした。
後に残されたのは俺一人。
彼女がいなくなって、まるで夢から覚めたばかりのような心地で俺はぼんやりしていた。
でも夢じゃない証拠に、隣に彼女の口紅の付いたワイングラスが残っている。
彼女の囁いた声が耳に残っている。
「お客様、何かお飲みになりますか?」
バーテンダーがやさしく微笑んでいた。
「え、ああ……、じゃあ何か適当に…。」
「では何か軽いものでもお作りしましょう。恋のおまじない
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