第七十六話・蝶は飛び立ち、戦場を征く

ロウガにとってそれは望まぬ旗揚げであった。
しかし帝国の危機、理不尽な教会・王国連合軍の侵攻も捨て置けないことだと感じていたために、ロウガは心の底から援軍を断らなかったのは自らの不明と言い聞かせ、進んで戦争へと足を踏み入れた彼女たちが後世に残すかもしれない汚名を、すべて自分の名において被る覚悟を固めた。
援軍として軍を動かすことを、ラピスに正式に伝えると彼は喜び涙した。
「神は…、我らを見放していなかった!」
「神は……、見放している。お前も、帝国も、教会も、王国も、俺も、彼女たちも。神は誰一人見守っていない。ラピス殿、老人の戯言と聞き流してくれても構わん。だが、その脳漿の片隅で覚えておいてくれ。世界は誰に対しても平等だ。すべては平等に見捨てられている。神に愛されているなどという思い上がりが教会のような悲劇を生むのだということを…。」
ラピスはこの時のロウガの言葉を、この旅を振り返った日記に綴っている。
それだけ彼にとってロウガとは異質な存在だったのだろう。
彼はこう残している。
『私は衝撃を受けた。親魔物国家は我々が神を信仰するように、その魔王を絶対的なものと捉えていると思っていた。しかし、彼の目にはそれがないと思える。彼は神を否定した。以前の私ならその言葉にすぐに熱を帯びた反論をしていただろう。だが彼は神の正義も、教会の正義も、そして自分たちの正義すら否定した。絶対者に愛されているという思い上がり、という私…、いや皇帝陛下ですら思いも寄らぬ考えは、如何なる人生を歩んだが故の言葉なのだろうか…。私たちは今こそ考えねばならないのかもしれない。自分たちの世界の殻を打ち破り、まったく異なった世界を、もっと知らなければならない。』
戦争後の世界で、彼は哲学者として名を残す。
その哲学は彼の名をとってラピス論として、戦後哲学3大流派の一つとして隆盛し、後世の人々に様々な影響を与え続けることとなるのである。



出陣の日。
それは大会議室でロウガが押し切られた翌日の晴れた朝だった。
朝日が昇り、あたりが明るくなった頃、中央広場には名もなき町改め、学園都市セラエノを守らんと集まった義勇兵たち2000人がすでに整列し、今か今かとその時を待っていた。
ロウガに内緒でアスティアたちがヘンリー=ガルドに依頼して用意させた、東洋系のデザインで揃えた赤い鎧に身を包んだ2000人は、誇らしげに彼らが選んだ総大将を待ち続けていた。
決して戦争が好きだという人々ではない。
それでも守りたいものがあるからと、各々が自ら剣を取って立ち上がった。
人間の男女、そして魔物たちが入り乱れた集団に、サクラやサイガも混ざっていた。
サイガの妻、コルトは子供が幼いことを理由にロウガが参戦を許さなかった。
「……サクラ、俺は生きて帰るぞ。子供の顔を生きて見たいし、どうせ死ぬのならあの子が嫁に行くのをしっかり見届けてから死にたいからな。」
「…もちろんだよ。僕だってそうさ。マイアさんのために死ぬことは許されない。僕は、約束したんだ…。あの人を支えられるだけの価値ある男になるんだって…。」
二人は拳をぶつけ、互いの無事を祈る。
その時、人々のざわめきが大きくなった。
「ロウガだ!」
その声に誰もが総大将のために設置された壇上に注目した。
彼らと同じ真っ赤な鎧に身を包んだ男は、ゆっくりと壇上に上がると無言のまま彼らを見下ろしていた。
その姿に誰もが息を飲む。
総大将らしい、豪奢な東洋系の魚鱗の鎧。
真っ白になった長い髪を整え髷を作り、普段の彼とは似ても似付かない程、威厳と覚悟を宿した目が義勇兵として集った彼らを見詰めていた。
義勇兵たちは、彼の姿を見て思わず姿勢を正す。
これが自分たちの選んだ総大将なのだと。
この男の下にいる自分たちが彼の名を貶める姿勢を見せてはいけないと。
早朝の静けさの中、ただ無言の対話が続いていた。
やがてロウガが溜息を吐き、口を開いた。
「……今なら、間に合うぞ。」
それは今なら戦場に向かわず、逃げても良いという意思表示。
誰もがその言葉の意味を知っても尚、身動きすらしなかった。
「…今なら間に合うんだ。そうでなければ、この戦争の間…、俺はお前たちの命を駒にしなければならない。お前たちを兵と呼び、俺はお前たちを手足の如く動かさなければならなくなる。それは……、お前たちの知らないロウガという為政者の所業だ。引き返すなら……。」
しかし、誰もそれを聞いても動かない。
ロウガはそんな彼らの思いに感謝した。
それと同時に謝罪していた。
こんな状況にしてしまったこと。
そしてこんな状況になって尚自分を慕ってくれることを。
「ならば……、我が兵たちよ!!」
義勇兵たちがざわめく。
やっとロウガが自分たちを兵と認めた。
彼らはそのことに喜び、静かにその闘志と戦意を高
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