第八十一話・クスコ川防衛ラインB

戦況はバフォメットの望んだ通りの膠着状態となった。
紅龍雅たちの手によって徐々に水かさを減らしていったクスコ川は、あの轟々と流れていたのが嘘のように穏やかになり、もっとも浅い所では歩いて渡れる程にまで水かさが減っていた。
もっとも歩いて渡れるポイントはごく限られた箇所のみ。
地図と地形を頭に叩き込んだバフォメットや龍雅らの布陣によって、その限られた箇所の防御は特に厚く、容易に突破出来ず、無駄に死者を出し続ける連合軍は土嚢を積みながら川を徐々に渡っていくしかなかった。
すでに帝国軍とセラエノ軍の放った矢で、1000を超える将兵が命を落とし、力なくクスコ川の流れに身を委ね、大地へ帰っていく。
「弓隊、構えぇー………、放て!!!」
最前線で指揮する皇帝、ノエルの号令で再び矢が命を奪う雨となって連合軍に降り注ぐ。
阿鼻叫喚の地獄絵は、連合軍を主役に据え置きクスコ川を朱に染める。
幅の広いクスコ川を半分ほど進んだ状態で連合軍の兵卒、傭兵合わせて約4000は一進一退の攻防を繰り広げていた。
このまま膠着状態が続くのは望ましくない。
しかし、勝利を決定付ける大将首が自ら目の前に現れているのだ、とフィリップ王以下将軍たちは色めき立ち、その膠着状態に兵を送り込んで決着を焦る。
何故、彼らはここまで戦の勝利を焦るのか。
それは彼らの今日までの境遇がもっとも大きく関係していた。
フィリップ王以下、旧フウム王国残党はヴァルハリア教会によって辛うじて王の位や教会直属の軍隊として生き残ったものの、実質国は彼の長男に奪われ、拠る地もない状態であった。
だがヴァルハリア教会大司教、ユリアスがルオゥム帝国を陥落した暁には、その領地を旧フウム王国残党に与えると宣言を出したため、旧フウム王国残党は必死になって攻撃の手を緩める訳にはいかなかったのである。
これには沈黙の天使騎士団などの、本来フウム王国に禄を貰わずとも生きてこれた騎士団や傭兵たちを除くと、旧フウム王国残党は主にジャン1世の政治体制の変革によって王国を追われた没落貴族で構成されていたことが大きかった。
もう一度貴族として、人々の上に立ちたい。
それが彼らの戦意高揚に一役買っていたというのは、もはや隠しようのない事実である。
後にこの混乱期を生き残った者たちが如何に、信仰のためになどと取り繕ったところで、貴族出身者が多かったという事実に、おそらく信仰はこの混乱期において忘れられていたと思われる。
しかし、ヴァルハリア領民兵は違った。
彼らは一層信仰に燃えていた。
ヴァルハリア教会の唱える神の国成就、魔物のいない清らかな正しき世界を作り上げようと剣を握る手に力が漲る。
元々、彼らは考えることを否定する。
教会の言葉は絶対的なもの。
教会は神、神は教会という狂信が常識として、その遺伝子の一片まで染み込んでおり、教会が敵だと言ったものはすべて悪魔であると、抑え込まれた狂暴な牙を剥き出しにする。
だから彼らは退かない。
川の真ん中で膠着するなどという、どんな危険な状況でも彼らは退かない。
そこに悪魔が見えているから。
そこに美しい悪魔が人々を騙し、正しき世界から目を逸らしていると信じている。
そしてその信仰の中に、薄ら暗い欲望が渦巻いていた。
あの美しい悪魔を切り刻みたい。
あの美しい悪魔を嬲り、犯したい。
それが彼らが初めて外の世界に交わったことで知った快感。
自らを悪と認識しない正義の使者を気取り、古の英雄譚に憧れた彼らは、自らを英雄に準えて、教会の信じる正義と神が与えてくれたと信じる快楽に、絶対的な危険の中で歯を食い縛って、土嚢を積み進行する。
虚栄と狂気が手を取り合い、クスコ川を進撃していく。
バフォメットの待ち望んだ、最高の形で膠着状態は訪れたのだった。


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「頃合、じゃな。」
セラエノ軍軍師、バフォメットのイチゴは帝国軍の兵士に退却のラッパを鳴らすように命じると白馬のポニーに跨り、最前線へと躍り出た。
軍師だとわかりやすいように、わざとらしく東洋系の着物を羽織り、羽扇をヒラヒラと扇ぎながら、彼女は誰の目にも明らかな程、禍々しく圧倒的な魔力を解放した姿を現した。
「汝ら、我が声を聞くが良い。」
それは魔力を込めた言霊。
連合軍兵士の耳ではなく、頭に直接語りかける威嚇。
突然、響き渡るイチゴの声にクスコ川を渡ろうとする連合軍兵士は混乱に陥った。
「我こそは神聖ルオゥム帝国の守護神、天魔大将軍バフォメットなり。」
無論、嘘である。
だが、彼女の放つ圧倒的な魔力と存在感が嘘に真実味を持たせていた。
放つ魔力で大気が震える。
イチゴが連合軍に向かって手を伸ばす。
何かが起こるような気がして、川の中の連合軍兵士はビクリと身体を硬直させて身構えた。
イチゴは無言の
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