第七十話・裂けた胸踊らせ空しさに問う

「……ふぅ。」
ウェールズを店の裏口から見送って、私はちょっとだけ溜息を吐く。
まったくもって面倒臭い子。
なまじ知恵なんか持っているから、あそこまで落ち込まなきゃいけない。
もっとも、落ち込んで悩んで色んな可能性を秘めているから人間とは面白い。
さて……、もう一個だけ片付けようかしら。
「出て来なさいな。もう、行っちゃいましたよ。」
裏路地の向こう側で何かがビクリと驚く気配がする。
「完璧に気配が消えていましたけど、残念でしたね。あの子は本当に気が付いていませんでしたけど、私は死人。死んでいる者は生きている者を敏感に感じ取るんですよ♪」
もちろん、嘘。
でも、生前から私の耳は地獄耳だったから、僅かな息遣いでも私の耳には十分届く。
死なない限り人は呼吸をして、心臓は絶えず鼓動を鳴らして生きていることをアピールする。
もう、私には思い出でしかないけれど…。
物陰から出てきたのは傷だらけのドラゴン。
もう何日も前からうちの店を外から見ていた人。
「……気付いていたんだ。」
「ええ、ずっと前から。あの子を見張って……、違いますね。ずっと見守っていた視線には気が付いていましたよ。」
作業着姿のドラゴンは一言、そっか、と呟いて安堵したように大きく息を吐く。
この人が、きっとあの子の母親…。
いや、育ての親か。
「飛び出したかったでしょう。ずっと会いたかった我が子を、その手で抱きしめたかったでしょう。でも、よく我慢してくれました。そうでなければ、彼の成長はありえませんでしたから…。」
「……別に、そんな殊勝な考えじゃないよ。あたいはただ…、どんな顔してあの子に会えば良いのかわからなかっただけなんだから。あの子を見捨てて、あの子が苦しんでいる時に、あたいは命辛々逃げ続けていた。そんなあたいに、母親面が出来るとは思えなかっただけさ…。」
「………よく似た親子。」
本当に真面目で融通が利かなくて、自分に厳しいですこと。
「そんなあなたを彼は待っていますよ。待ってて、今も探して、追い続けて…。憎しみに心を歪めて鬼に成りかけていたくらいです。会えば良いんですよ、親子なら。」
「…………………………。」
あらら、黙っちゃった。
「別に悲嘆にくれる必要はないですよ。これ、私が出した占いの結果です♪」
割烹着の袖から一枚のカードを取り出す。
彼が休んだ時、私が休憩中の時に何度やっても、このカードだけは必ず出てきた。
「そりゃあ…、一体?」
「愚者のカード。名前からしたら彼にピッタリのカードですけど、悪い意味じゃありません。出発、自由…、あらゆる意味での出発点を意味するカードが、ウェールズを占うと必ず出るのです。彼はまだ出発すらしていない、この町に来るまで時間が止まったままだった。でも、彼は私でもない、そしてあなたでもない。彼はきっと生まれて初めてガーベラという少女を救いたいと、他の誰でもない、ウェールズ=ドライグという人間によって突き動かされた。これは他の誰でもなく、あなたが喜ぶべきではないでしょうか。」
「……あたいは喜んでも良いのかな。」
「ええ、もちろん。あなたでなければ、誰が喜ぶというんですか。さぁ、こんなとこで立ち話も何ですから、是非うちの店で飲んでいってくださいな。私も今日は気分が良いんで、奢りますよ♪」


―――――――――――――――――――――――


臨時休業の札が下がったテンダーは静寂に包まれていた。
ルゥとその夫、ジャックがもしも店の女の子や、客に何かがあったら大変だと、その日の営業を9時までにして、ネヴィアを狙う暗殺者に備えていた。
ネヴィアの部屋にはアスティアが。
そしてその隣の部屋にはロウガが待機する。
ルゥは力になれない、と自室で3人の無事を祈った。
ジャックはそんな自分の無力さを嘆く妻を気遣い、暖かいミルクを作って励ましの言葉をかけた。
娼婦たちは事情を知らず、いつもより早い終業を喜び、ある者は仲間内で夜の繁華街へ繰り出し、ある者は自分を待つ思い人の下へと走るなど思い思いに過ごしていた。
時間だけがゆっくりと過ぎていく。
予告時刻まで後僅か。
ネヴィアの部屋はランプの頼りない灯りの中、重苦しい空気が漂っていた。
「…アスティア様、もしもの時はどうぞ私のことなどお構いくださいませんよう。」
それは、もしものことがあれば自害するという宣言だった。
「私がこの町へ来なければ…、皆様に迷惑がかかることもございませんでした。元々、来るべきではなかったのです。我らの主も、あなた方の傍観者でいることを望んでおりました。しかし……、私はこの町へ来たかったのです。私の我侭のために、単身あなた方の下へと参りました。その結果が……、こんなことになろうとは思いもしませんでした。」
壁にもたれたアスティアは、静かな笑顔で答えた。
「もしもの時は
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