一章 はじまり

春のうららかな空気を感じて私は気怠さを覚える。
肌を撫で上げる生暖かい風にうんざりとした表情を浮かべる。
風を生温く温める日光を浴びて私は呟く。

「…今日も退屈な日が始まるわ。」

私が独りごちているのはとある神社の屋根上。わざわざ日光にあたる場所にいるのは、私が日の光を浴びないと1日を開始することができないからだ。
別にそういう性質を持っているわけではないが、なんとなく、1日が始まらないのだ。要は気持ちの問題ということ。

耳を澄ませば遠くからこちらに向かって聞こえてくる童たちの笑い声。
だんだんと近づくそれは遂には私の真下までやってきていた。

ふと見下ろすと、そこには数人の童が鬼ごっこをして遊んでいた。

「…こんな陽気に元気な子たち。」

地を駆けずり回り楽しそうに遊ぶ姿は端から見ればなんのことはない微笑ましい光景に見えるだろうが、私から見ればそれは単なる“かけっこ”にしか見えなかった。
しばらく童たちを眺めてから、私は飽きてまた空を見つめていた。


屋根の上には不釣り合いなほど重ね着された煌びやかな着物がどうにも鬱陶しく思えて仕方ない。
でも、この衣装も私という存在を形作るに重要な要素だ。
ならばこの髪はどうだろう?
腰下まで伸びきった黒髪は、無駄に艶やかでそれでいて無彩色ではない不思議な黒髪はどうだろう。寝癖で跳ね上がった前髪はここ何年かそのままにしてある。
対面的には新しい髪型で通しているが、その実、私自身、面倒だから直さないだけなのだ。どうせ明日には同じようになるのだから変わらない、そう思って放置を決め込んだのである。

「退屈だわ…本当に退屈。」

心に溢れたその感情が思わず口から出てしまった。
でも気にしない。どうせ私の独り言など誰と聞いてはいないのだから。聞こえていないのだから。

私の周囲には妖術を施してあり、普通の人間には私の姿はおろか、その場に何かがあるという認識そのものが欠落している状況だろう。だから私は懐から煙管を取り出し、妖術で火を灯した。
ゆっくりと吸い込み、それから吐き出す。その動作を一回行ったところで思わぬ事態に遭遇した。

「あのー!そんなところにいると危ないですよーー!?」

「…ん?」

突然、大きな声が下から聞こえて私は視線を向けた。
すると、そこには若い男が1人、まっすぐにこちらを見ているではないか。
…まさか、私を視認して声をかけているのか?

「…私のことか?」

そう思って聞き返してみる。

「そうですよー!だから早く降りてきてくださーい!」

「…っ。」

…驚いた。いや、素直に驚いた。まさかとは思ったが、本当に私が見えているようだった。意識を巡らせて術を確認してみるも、さして異常を見当たらず、『不可視不認識』の術は正常に稼働していた。
と、すれば。

「…お主は陰陽師か?それともここの神主か?」

「え!?…いえ、ただのしがない浪人ですよー?」

…しがない、というには晴れ晴れとし過ぎている気がするがそこはどうでもいい。それよりも、彼が妖術に通じる者ではないとすれば、なぜ私が見えているのか?
この距離では如何様にも推測しづらいのでとりあえず私は地上に降りることにした。

瓦に手をかけて身を押し出す。ふわりと宙に浮いて地面へと落下していく私を見て、男は慌てていたが、地上スレスレでひたりと着地して見せるとほっと胸を撫で下ろしていた。…実に妙な人間である。

「…で?お主は何者なのか?」

「え?ああ、申し遅れました。私、ここらに居着いている浪人の…って、耳!?」

自己紹介の途中で彼は驚いたようにたじろいだ。視線を辿ると私の頭に生えた狐耳にのみ注がれていた。…ああ、この耳に驚いたのか。しかし、擬態の術も掛けておいたはずなのだが、どうして彼は見えているのだろう。

どこまで見えているのか確かめるため私は腰辺りに生えた尻尾を振ってみる。

「おわっ!尻尾まで付いてる!?」

…実に純粋な反応と感想だ。少しつまらないがそれもまた、今はどうでもいい。

「なんだ、全部見えているのか。」

「あ、そうか!貴方は妖怪なのですね?」

急に納得したような反応を見せた後、直球の質問を投げかけてきた。

「軽い反応だな、妖は見慣れているのか?」

「ええまあ、家が妖と縁が深い関係で…。」

ん、ああ。なるほど。
その言葉で私はようやく合点がいった。
腰に下げた刀と、その澄んだ瞳から察するにおそらく彼は退魔の一族の出だ。

「お主は退魔の者か。」

「え!?なんで分かったんですか!?」

バレバレだ。

「…その腰に下げた刀も普通の刀ではあるまい?…鞘に刻まれた紋章からするに、さしずめそれも退魔用の専用武器といったところか。」

すらすらと自分の正体を当てた私に、彼は驚きの顔でただ見つめ
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