上 春は目覚めの時期

 とある早朝、レスカティエ第37駐屯地の片隅にひっそりと掘られた穴の中に隠れる者達がいた。

「ふふふ・・・。ようやく力が戻ってきたわ」

 明りのない穴の中に、ツンと尖った印象を与える女の声が響く。その声には、封じられていた自分本来の力が戻ってくるのを感じた喜びが込められていた。

「今回もやるのかい?」

 若々しいが落ち着いた男の声が穴の中に小さく響く。その声には、女の声に含まれた喜びと好戦的な匂いに対する心配が込められていた。

「ええ!やるわよ!今度こそ、どちらが女王に相応しいかはっきりさせてあげるわ!あーはっはっはっはっは!」

 女は戻ってきた自分の力に酔いしれたように高らかに笑った。男はその様子に、今回も失敗する未来しか想像できずため息をつくのだった。



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 春の匂いが風に乗ってくる季節、レスカティエ第37駐屯地司令官を夫に持つトトリは週に3日訪れる3時間の別離・・・、仕事という名の長き苦行を始めようとしていた。
 エルフ特有の耳は気だるげに垂れ下がり、その眼には憂鬱さがありありと現れている。

 司令官を務める夫は意外と忙しい。
 この駐屯地は辺境にあり戦線からは遠く離れているので、軍事的な忙しさは、あまりない。 昨年晩秋の頃に行った遠征はとても珍しいことであった。

「あ〜、ベットに戻りたい。ふかふかの布団とオリオに包まれたい。貴女もそうだよね〜」

 そのため、戦闘好きな種族や戦場で夫を求める若い魔物たちには人気がなく、以前は小ぢんまりとした村のような駐屯地であった。

「ん〜、あったかくなってきたから大掃除もしたいな〜。貴女用の道具を置くスペースも確保しないといけないし、いずれは部屋も用意してあげないといけないね」
 膨らんだお腹を擦りながらまだ見ぬ相手に話しかける。
「貴女は可愛らしい部屋がいいかな?それともシックなお部屋がお好みかな?ふふふ」

 しかし、数年前とある事情でこの駐屯地一帯が明緑魔界に変わると、事情が一変した。

「それにしても・・・。口寂しい・・・・・・」
パクッ  
 自身の人差し指を咥えてみる。
「ちゅっちゅ、ぺろぺろ」
 (物足りない、やっぱり夫のおちんぽを!・・・いや何か食べてごまかそう。ゴソゴソ・・・) 

 暗黒魔界の仄暗かった大地に青い空と輝く太陽、そして緑の草木が戻ってくると、それを好む植物型や獣人型、昆虫型、妖精型の各魔物たちとその夫たち、それ以外にもスローライフを送りたい夫婦が移住するようになり、人口が急増しているのだ。

「モグモグ、ヨーグルトに苺のジャムは定番だよね。ほかのジャムでももちろんいいけど、苺の甘さと種のツブツブ感がいいのよね〜♪」

 人口は増えても彼らは兵士ではない。なので、それぞれがそれぞれで事業を起こして生活の基盤を整えている。
 農業を行い穀物や野菜、果実を育てるトロールやワーラビットたち。
 乳牛を育てるホルスタウロス、ふかふかの羊たちの間に入り込んで眠っているワーシープと牧羊犬のように彼らをまとめるコボルトたち。

「モグモグ、はちみつも入れよう」

 ドリアードやエルフが木を育て林や並木を作り、木々に守られるようにアルラウネやリリラウネが草花を育てて花畑を作る。妖精たちは花に誘われ遊びまわって鱗粉を振りまき、その横で蜜や樹液を求めるハニービーと夫がミツバチを飼って養蜂家になる。
 集まった蜜を狙うホーネットやグリズリーたちも拡大する駐屯地の警備に一役かっている。

「モグモグ、ごっくん。今日の報告書は何かな・・・・・・。夏に向けた宿泊施設の建設に・・・、春の第一便の目録ね」

 明緑魔界として環境が整うと、暗黒魔界とは大きく違う景色を求めて観光客が訪れるようになった。特に親子連れに人気で、レスカティエの魔界化後に生まれた子供たちに人間界に近いここの景色を見せてあげたい親も意外と多いようなのだ。

 また、明緑魔界ならではの人間界の野菜や果物、花や材木、それにホルミルクやワーシープウール、アルラウネの蜜やハニービーとミツバチの蜂蜜、妖精の鱗粉などがレスカティエの各地に出荷されてこの地の重要な産業となってきている。

 ただ、これらの住人たちを管理する町としての機能がまだ整備されておらず、町長としての役割も駐屯地司令官が兼任しているため、定期的に仕事の時間を取っているのだった。 

「よーし、一回深呼吸して、気分を切り替えようかな!」
 ホルミルク製の美味しいヨーグルトを食べきると、トトリは窓を開けて大きく深呼吸を行った。
 春の始めとはいえ朝の風は今だに冷たいが、夜通し温まった体と頭には丁度よい目覚ましになる。
 だが・・・・・・。

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