朝の白みを帯びた陽光が辺りの緑を朗らかに照らす。
朝露で仄かに濡れた木々を横目に、一人の男が走っていた。
男は白のジャージ姿に、足には年季の入ったランニングシューズを履いている。
首からタオルを下げた他に持ち物は何もなく、いかにも走り慣れている様子を感じさせた。
男が早朝にランニングを始めてから数週間ほど経つ。
ストレスと運動不足を解消するために始めた習慣だが、始めてみるとこれが案外心地よい。
朝のひやりとした空気を吸いながら走るのがすっかりクセになり、今では意識せずとも毎朝続けるライフワークとなりつつあった。
最後の百メートル、男は幾分かペースを上げる。
道の右側に置かれた小さなベンチの前までたどり着くと男はゆっくりと勢いを落とし、
やがて足を止めると、それから荒い息を整えるように運動後のストレッチを行う。
身体の熱が少し冷めると、ベンチに腰掛けて男はスポーツドリンクを口に含んだ。
塩と水分を補給してやると、身体は大喜びで男の全身へ拡散させてゆく。
男はしばらくその清々しい疲労感を楽しんでいたが、
ふと、左手から一人の女性が同じように走って来るのを目にした。
人っ気の少ない朝早くのことである。
毎朝走っていれば、すれ違う人の顔もそれなりに覚えるようになってくる。
重たい腹を抱えて走る男性、犬の散歩をする老婆、部活の朝練習の一団など多種多様だ。
しかし男が目にしたその女性は、その中でも一際目を引く容姿をしていた。
まず目に映るのが青色の髪。嘘臭いほどに艶やかに光る長髪をひとつに結び、息に合わせて上下にひくひくと揺らしている。頭には彼女が魔性である事を象徴する羊のような角があり、ふわりとした髪の中にありそこだけが硬質さをもってにび色くに光っていた。
絶えず交わされる二本の足は小鹿のように細く長い。傷の一つ毛の一つなくすらりと伸びた両足を隠すものはなく、下半身にはお尻を覆える程度のショートパンツのみを着用している。それにしたって食い込みが激しく、足の付け根のあたりまで肌をさらしておりいかにも艶めかしい。
そして上半身には、誰もが目を奪われる豊満なバストが彼女の呼吸に合わせて上下する。小さく柔らかい唇は薄く開かれ、規則正しく行われる荒い吐息が漏れ出ている。丈の短いランニングシャツは彼女の全身を覆い隠すに至らず、主に胸部が大きすぎるせいで丈を縮め必然的におへそが見えてしまっていた。
名も知らぬこの女性は、サキュバスという魔物娘である。
近年日本に現れた好色な魔物であり、気に入った男を見つけては籠絡し性を食らうという。
男はベンチに座り彼女の上下する胸を眺めながら、図鑑で読んだ一節をぼんやり思い返す。
言われてみれば、なるほど男好きのする身体をしている。
そんな事を思いながら彼女の胸をじろじろと眺めていると、不意に、彼女がこちらを振り向いた。
気付かれていたのだろうか。男は急にばつが悪くなり、思わず慌てて目を伏せる。
しかし彼女は不快に思う事も無く、むしろどこか嬉しそうに目を細めて笑った。
意味深長な笑みだった。
相手がサキュバスな事もあいまって、男の脳裏に都合のいい妄想がぐるりと駆け回る。
すると彼女は追い打ちをかけるように指を口元に寄せ、水気を帯びてこちらへ飛ばす。
Chu、という小さな水音は、朝の静寂の中で男の耳によく届く。
いよいよ男の頭は混迷極まり、どう返したものか惑ううちに、
既に彼女は目の前から走り去ってしまっていた。
返そうと思った不慣れな投げキッスは、遠くなった彼女の背中に虚しく消える。
男はしばし所在なさげに手をうろうろと彷徨わせていたが、
やがてベンチの上でひとつ決心をした。
そうだ、最後のストレッチがまだだったな。
男は言い訳じみた事を思い、後ろの芝に寝転がってストレッチを始める。
それは明日に疲労を残さないため、念入りに、時間を掛けて行われた。
彼女がまた一周して戻ってくるまでの時間、彼はひたすらにストレッチを行っていた。
我ながら涙が出るほどの浅ましさだな、と思いながら男はベンチに腰掛ける。
まだ若いとはいえもう成人式を終えた身、
投げキッス一つで女に振り回されるのも正直どうかという思いがないわけではない。
ただ、そんな見栄や矜持がどうでもよくなってしまうほどの魅力が彼女にはあったのだ。
流石は魔性と言うべきか。
まあ、もとより相手にされるとまでは思っていない。
駄目でもともと、話のタネにはなるだろう。
そんな後ろ向きな期待を抱きながら、
男は念入りにやりすぎて荒くなった呼吸を整えつつベンチに腰かけていた。
程なくして彼女はやってきた。
待ちぼうけというオチにならなかった事に、とりあえず男は安堵の息を吐く。
後は彼女がこちらを向けば、こちらから投げキッスでも飛ばし
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